これは戦後最大の必読書です。日本の問題をここまで明快に指摘した本はほかにありません。とても読みやすい本ですが、あまりにも内容が衝撃的なため、私は書かれていることを胸に収めるために、何度も読む手を休めねばなりませんでした。


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内容紹介
なぜ戦後70年たっても、米軍が首都圏上空を支配しているのか。
なぜ人類史上最悪の事故を起こした日本が、原発を止められないのか。
なぜ被曝した子どもたちの健康被害が、見て見ぬふりされてしまうのか。
だれもがおかしいと思いながら、止められない。
 日本の戦後史に隠された「最大の秘密」とは?
 
 

著者の矢部宏治氏は出版プロデューサーとして「〈戦後再発見〉双書」を手がけた人です。私はその中の「戦後史の正体」(孫崎享著)を読んでいますが、これもたいへん素晴らしい本です。今回、自分で本を書いたということは、その集大成を目指したのでしょう。
 
現在の政治の混迷は、民主党政権が失敗し、政権交代の可能性がほとんどなくなってしまったことからきています。
では、なぜ民主党政権は失敗したのか。これについてマスコミや政治学者ははっきりしたことを語りません。
しかし、本書は明快にその理由を語ります。
 
 
第1章では基地問題が取り上げられます。
ここに書かれていることの多くは、私もあらかじめ知っていたことです。たとえば、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したとき、米軍が現場を封鎖し、大学関係者、マスコミはもとより日本の警察すら立ち入れなかったこと、砂川判決を出す前に日本の最高裁は判決内容をアメリカに伝えていたこと、米軍基地の騒音訴訟などで裁判所は騒音被害は認定しても米軍機の飛行差し止めは決して認めないこと、鳩山政権が辺野古移設問題でアメリカと交渉していたとき、日本の外務省の官僚がアメリカの交渉担当者に対して助言していたことなどです。
マスコミはこれらのことを報道しますが、その背後にあるものはまったく伝えません。しかし、本書はこれらの事実の背後には法律や条約や協定や(アメリカ側で公表された)密約があることを示します。
 
ところで、鳩山政権が辺野古問題で迷走しているころ、私は「日本辺境論」(内田樹著)を読んで、日本に外交力がまったくないことに妙に納得してしまいました。ただ、これはもっぱら文明史の観点から論じた本です。
それに対して本書は、もっぱら法制面から論じています。その分、具体的ですから、誰もが納得せざるをえないでしょう。
 
第2章は原発問題が取り上げられます。
これについては私も知らないことがいっぱいでした。
 
アメリカではトモダチ作戦に参加した米軍兵士が被曝の補償を求めて東電を訴えており、原告の数は200人にもなったということが報道されていますが、日本ではこうした訴訟はありません(これを書いたあとで知りましたが、日本でも訴訟は行われていました)。
その理由は日本の法律にあるということを初めて知りました。
 
大気汚染防止法 第27条 1項
この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染およびその防止については適用しない」
土壌汚染対策法 第2条 1項
この法律において『特定有害物質』とは、鉛、ヒ素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)であって()
水質汚濁防止法 第23条 1項
この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁およびその防止については適用しない」
 
また、環境基本法は、放射性物質については「原子力基本法その他の関係法律で定める」となっていますが、実はなにも定めていないということです。
 
これでは訴えられないのは当然です(健康被害は訴えられそうですが、これは水俣病裁判がそうだったように立証するのがたいへんです)
 
また、野田政権は原発稼働ゼロを目指すエネルギー戦略を閣議決定しようとしましたが、いつのまにか再稼働容認に変わってしまいました。これについて当時の報道で納得のいく説明はありませんでした。
 
本書によると、藤崎一郎駐米大使がアメリカのエネルギー省のポネマン副長官と国家安全保障会議のフロマン補佐官と面会し、日本政府の方針を説明したところ、「強い懸念」を表明されて、それで方針転換したのだということです。
 
これだけでは陰謀論のようですが、こうしたことの背後には日米原子力協定があるといいます。この協定は「アメリカの了承がないと、日本の意向だけでは絶対やめられない」ような取り決めになっているのです。
 
これを読んだとき、小泉純一郎元首相が「原発ゼロの方針を政治が出せば、必ず知恵のある人がいい案を作ってくれる」と繰り返す理由がわかりました。日本が原発をやめるには、なにか特別な知恵が必要なのです。

第3章以降は、こうした構造の解明と、歴史的な成立過程の解明に当てられます。
 
国際条約や国際協定は国内法の上位にあるとして、憲法はどうなのだということが論じられます。原発再稼働や危険な普天間基地の米軍使用は、健康で文化的な生活を営む権利を侵害する憲法違反なのではないか。
しかし、日本の最高裁は、安全保障のような高度な政治的判断を必要とすることには判断しないと決めています。これは「統治行為論」などと呼ばれますが、世界の法学の常識にはありません。国民の人権が侵されても裁判所はそれになにも言わないというのですから。
 
そのため安保条約や日米地位協定や日米原子力協定などの安保法体系は日本国憲法の上位に位置することになります。そして、日本の官僚は憲法ではなく安保法体系(とアメリカ)に忠誠を誓っているというわけです。
 
そして、安保法体系がつくられた過程を戦時中と占領時代にさかのぼって解明していくところも、きわめて説得力があります。
 
ほんの一例を挙げると、昭和天皇はマッカーサーと会見したとき、「自分はどうなってもいいから国民を救ってほしい」と言ったので、マッカーサーは感激して天皇制を存続させることにしたという話があります。私はこういう“美談”は眉唾ものだと思いますが、本書はまったく別の説をとっています。昭和天皇はアメリカに占領された場合は自分が助かる可能性があるが、ソ連に占領されると処刑されるに違いないと思っていて、原爆投下ではなくソ連の参戦によって降伏を決意した。戦後も、共産主義革命が起こると自分は殺されると思っていて、そうならないように米軍駐留を望んだというのです(「沖縄メッセージ」と言われる)
 
つまりこれは「自発的隷従」というべきものですが、これが隠されているため、日本に共産主義革命の起こる可能性のなくなった今でも「自発的隷従」から抜け出すことができないというのです。
いや、ますます「自発的隷従」が強まっていることは、最近の安保法制の議論を見ていればよくわかります。
 
あと、日本国憲法制定過程や国連憲章の敵国条項などについても「目からウロコ」のことが次々と出てきます。
 
今後、日本のあり方について議論しようとする者は、本書の主張に賛同するかどうかは別にして、本書に書かれている個々の事実を無視するわけにはいかないでしょう。そういう意味でも必読書です。