神戸連続児童殺害事件の犯人であった元少年A(酒鬼薔薇聖斗)が手記を出版しました。
事件当時彼は14歳でしたが、新聞社に送りつけた犯行声明文はとても14歳のものとは思えず、かなり文才のある人だと思いました。ですから、いずれこういう日がくることは予想していたことです。
 
彼の両親は共著で「『少年A』この子を生んで」という本を出しています。凶悪犯の育った家庭というのはたいてい崩壊家庭で、親が表に出てくることはまずありませんから、親が本を出すというのはきわめて珍しいケースです。
今回彼が本を出したことで、ふたつの視点から事件を立体的に見ることができるわけで、大いに意味のあることです。
 
ところが、被害者遺族の土師守さんが出版中止を求める声明を出しました。
 
「思い踏みにじられた」 神戸連続児童殺傷事件の遺族、土師守さん 「元少年A」の手記出版中止を求める
 平成9年に神戸市須磨区で発生した連続児童殺傷事件で、当時14歳だった加害男性(32)が手記を出版したことをめぐり、殺害された土師淳君=当時(11)=の父、守さんは10日、代理人弁護士を通じ、「私たちの思いは無視され、踏みにじられた」とするコメントを公表し、出版の中止と本の回収を求めた。
 
 守さんは「何故、このように更に私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できない。遺族に対して悪いことをしたという気持ちが無いことが、今回の件で良く理解できた」としている。
 
 全文は次の通り(原文のまま)。
 
「加害男性が手記を出すと言うことは、本日の報道で知りました。
 
 彼に大事な子供の命を奪われた遺族としては、以前から、彼がメディアに出すようなことはしてほしくないと伝えていましたが、私たちの思いは完全に無視されてしまいました。何故、このように更に私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できません。
 
 先月、送られてきた彼からの手紙を読んで、彼なりに分析した結果を綴ってもらえたことで、私たちとしては、これ以上はもういいのではないかと考えていました。
 
 しかし、今回の手記出版は、そのような私たちの思いを踏みにじるものでした。結局、文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちが無いことが、今回の件で良く理解できました。
 
 もし、少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収して欲しいと思っています。
 
 平成27年6月10日
 
        土師守」
 
出版中止を求めるということは、言論表現の自由の侵害です。暴論というしかありません。
元少年Aは医療少年院と中等少年院に服役して、法的には罪を償ったわけで、今では一般人です。土師さんがいくら被害者遺族であるにしても、そういうことを要求するのは間違っています。
 
少年院の服役は前科にならないので、元少年Aは前科者ではありませんが、もちろん前科者であったとしても同じことです。
土師さんの要求は、少年院出身者や前科者に対する人権侵害であり差別ともいえます。
 
マスコミも土師さんの声明文をそのまま載せるだけでは、読者はその主張は正当なのかと思ってしまいます。載せる以上はなんらかの解説が必要でしょう。
 
 
弁護士の紀藤正樹氏は、匿名で出版するのは許されないという意見を述べていて、「BLOGOS」で紹介されていました。その意見の核心のところだけ引用します。
 
もう匿名は許されないのではないか?=元少年A「神戸連続児童殺傷事件」手記出版の波紋
自ら本を出す以上、少年時代の犯罪という点で、将来の更正のために与えられてきた「少年A」という「匿名」特権も許されることはないでしょう。
 
逆に、表現する側の者として、著者である「元少年A」のことを、「知る権利」が国民の側にも出てくると思います。そうでないと、国民は「著者」への批判ができないことになります。
 
それが「表現の自由」の「自己責任」の帰結です。
 
今回の書籍「絶歌」の筆者名は、「元少年A」で出してはいますが、自ら匿名で「更正」の機会を得る権利を放棄したも同様というほかありません。
 
匿名で出版するのは世の中にいくらでもあることです。
会社勤めをしながら小説を書いている作家は、しばしばペンネームだけで本名を明かしません。
内部告発の本を出す人が匿名というのもよくあります。「原発ホワイトアウト」と「東京ブラックアウト」という本を出した若杉冽という作家も、現役キャリア官僚だということですが、当然本名を明かしていません。
 
もし今の世の中が前科者や元犯罪者に対する差別がまったくない世の中であれば、本名で出版しろという要求はそれほど不当ではないかもしれませんが、もし今、元少年Aが本名を明かせば、住所などが特定され、たいへんな嫌がらせを受けるに違いありません。紀藤弁護士はそういうことがわかって言っているのでしょうか。
 
紀藤弁護士は、匿名だと『国民は「著者」への批判ができないことになります』と書いていますが、匿名であっても本の内容の批判はできます。できないのは「人格攻撃」です。
 
 
今回、改めてこの国の人権意識の低さを感じてしまいましたが、「人権」という言葉を使うと、なにか特別な感じがするかもしれません。要するに犯罪者や元犯罪者も自分と同じ人間だという認識があればいいだけの話です。
 
私は元少年Aが出した「絶歌」という本はまだ読んでいませんが、両親の出した「『少年A』この子を生んで」は読みました。読めば少年Aが普通の人間であることがわかります。