元少年Aの書いた「絶歌」をようやく手に入れたので、読み終えたら感想をアップします。
途中の印象ですが、残虐描写もあって、一般の人にはあまりお勧めできません。ですから、「私は読みたくない」という人が多いのもわかります。
とはいえ、自分が読みたくないからといって、読みたい人の権利を踏みにじるような主張をしてはいけません。
 
「絶歌」の出版を巡る動きを見ていると、私は昔よくテレビでやっていた西部劇のシーンを思い出します。
 
1960年代の日本のテレビはアメリカのドラマが花ざかりで、中でも西部劇は人気でした。
子どものころに見たものの影響は大きく、私は「人生でたいせつなことはすべて西部劇で学んだ」と言ってもいいぐらいです。
 
西部劇でよくあったのは、町の人を殺した犯人を保安官が逮捕して留置場にぶち込むと、町の人々が保安官事務所の前に押し寄せてきて、「犯人を引き渡せ」「やっちまえ」「吊るしてしまえ」と口々に叫ぶというシーンです。
主人公と保安官は体を張って町の人々に対峙し、「リンチはいけない。犯人は法の裁きにかけるべきだ。○日後に巡回判事がくるから、それまで待て」と言って説得します。
西部劇にこのシーンはよくありましたから、犯人をリンチするということはかなり行われていたのでしょう。そういう無法の世界を法の支配する世界に変えていくというのが西部劇の隠れたテーマです。
 
留置場にぶち込まれた容疑者は、実は濡れ衣を着せられていて、巡回判事がくるまでに真犯人を捕まえて無実を証明しなければならないというのがよくあるストーリーですが、ほんとうに憎らしい犯人である場合もあります。その場合も主人公や保安官はリンチをやめさせ、法の裁きにかけようとします。
 
「リンチはいけない」というのはそのときから私の頭に刷り込まれていますが、「絶歌」の出版に反対する人たちの姿は、「やっちまえ」と叫びながら保安官事務所の前に押し寄せてくる人たちにダブります。明らかに法の裁きでは満足できず、リンチにかけようとしているのです。
 
彼らを止めるために「法の裁きにかけるまで待て」と言うわけにはいません。元少年Aはすでに裁きが終わった身だからです。
つまり犯人でも容疑者でもない人間をリンチにかけようとしているのですから、むちゃくちゃです。
 
問題は、リンチを止めようとする正義の主人公と保安官がいないことです。
 
ネットの世論とテレビのコメンテーターの意見はほとんどリンチ賛成です。
学者とか知識人とか政治家はさすがにそういうことは言いませんが、反対の声も上げません。そのためリンチ賛成派の人たちは互いに肯定し合って、ますます勘違いを強めてしまいます。
 
いや、日本の場合、保安官に当たる司法当局は、これまで少年犯罪の厳罰化を推進してきて、そのために酒鬼薔薇事件を利用し、実際は減少している少年犯罪が増加しているようなイメージを捏造してきました。そして、マスコミも、犯罪報道は優良コンテンツであるため、司法当局の共犯者となってきました。
 
その結果、元少年Aの人権を踏みにじる意見が言い放題というリンチ国家になっています。