元少年Aの書いた「絶歌」を読みました。
 
「絶歌」は2部構成になっていて、第1部は犯行に至るまでの過程と、逮捕後の取り調べの過程が交互に描かれ、第2部は少年院を出てからの社会復帰の道のりが描かれます。
 
第1部は、書きにくいことをよく書いたなあという印象です。当然、残虐なシーンもあります。被害者遺族が読むのはつらいでしょう。
しかし、ほんとうは被害者遺族こそが読むべき本だと思いました。第2部だけでも読むといいのですが。
 
おそらくみんなが知りたいのは、元少年Aがどういう人間で、どうしてあんな残虐な犯罪をしたのかということでしょう。
 
精神科医の香山リカさんも、「何らかの脳の機能不全」があると推測し、それにあえて名前をつけるとすれば「サイコパス」であると言っています。
 
香山リカ、『絶歌』から「元少年A」の脳の機能不全を読み解く
 
しかし、私自身は「絶歌」を読んで、元少年Aが生まれながらの異常者であるとはまったく思いませんでした。
では、彼はどうしてあのような異常な犯行に及んだのかというと、私の考えでは、間違った環境で間違ったことを学習したからです。
間違った学習は修正が可能です。その人間の本質ではありません。
 
そのへんのことを、私の主観が入らないように、できる限り引用によって示したいと思います。
 
 
本文の第1ページ目にこう書かれています。
 
「少年A」――それが、僕の代名詞となった。
僕はもはや血の通ったひとりの人間ではなく、無機質な「記号」になった。それは多くの人にとって「少年犯罪」を表す記号であり、自分たちとは別世界に棲む、人間的な感情のカケラもない、不気味で、おどろおどろしい「モンスター」を表す記号だった。
 
自分が世間からどう見られているかを正確に把握している文章です。異常者にこういう文章が書けるとは思えません。
 
このあと、自分がどういう人間であるかを説明しますが、これがとてもわかりやすい説明です。
 
中学時代の同級生たちのことを思い出してみてほしい。最初に思い出すのは誰だろう? 成績優秀、スポーツ万能、おまけに容姿にまで恵まれた学級委員長の彼だろうか?
二番目に思い出すのは誰だろう? 根アカで、話が面白くて、いつも場を盛り上げていた、ムードメーカーの彼だろうか?
三番目に思い出すのは誰だろう? 髪を染め、タバコをふかし、ケンカに明け暮れ、時折はにかんだような可愛い笑顔を見せてくれた彼だろうか?
全員出揃ったところで、教室の片隅に眼をやってみてほしい。ほら、まだいたではないか。あなたが、顔も名前も思い出せない誰かが。自分と同じクラスにいたことさえ忘れている誰かが。
勉強も、運動もできない。他人とまともにコミュニケーションを取ることもできない。教室に入ってきても彼のほうを見る者はいない。廊下でぶつかっても誰も彼を振り返りはしない。彼の名を呼ぶ人はひとりもいない。いてもいなくても誰も気付かない。それが僕だ。
どの学校のどのクラスにも必ず何人かはいる、スクールカーストの最下層に属する“カオナシ”のひとりだった僕は、この日を境に少年犯罪の“象徴(カオ)となった。
 
この説明は、読者が学校にたいしてどういう認識を持っているかということを踏まえた上でなされているので、読者としては実に腑に落ちます(元少年Aが実際にこの通りの人間かどうかは別です)
 
また、彼はダウンタウンの松本人志さんについてこのように書いています。
 
ダウンタウンは関西の子供たちにとってヒーローだった。「ダウンタウンのごっつええ感じ」が放送された翌日には、みんなで彼らのコントのキャラを真似して盛り上がった。
他の同級生たちがどう見ていたのかは知らないが、僕がダウンタウンに強く惹きつけられたのは、松本人志の破壊的で厭世的な「笑い」の根底にある、人間誰しも抱える根源的な「生の哀しみ」を、子供ながらにうっすら感じ取っていたからではないかと思う。にっちもさっちもいかない状況に追い詰められた人間が「もう笑うしかない」と開き直るように、顔を真っ赤にして、半ばヤケっぱちのようにギャグを連射する松本人志の姿は、どこか無理があって痛々しかった。彼のコントを見て爆笑したあとに、なぜかいつも途方もない虚しさを感じた。
 
松本人志さんの本質をこれほど的確にとらえた文章はほかにないのではないでしょうか。
松本さんは「絶歌」の出版に関して、テレビで「僕は読まない」と明言しましたが、残念なすれ違いです。
 
ともかく、元少年Aの人間を認識する能力に大きな欠陥があるとは思えません。
ただ、人間関係の能力には問題があります。しかし、それは今どきの人間にはありがちなものでもあります。
 
彼は少年院を出て、ある更生保護施設の離れに泊まり、就労先を世話してくれる別の更生保護施設に通うという生活をすることになりますが、初めて朝早く別の更生保護施設に行ったときはこんな調子です。
 
朝早く、まだ他の入居者が寝ている暗いうちに、こそこそと離れを出る。電車に乗り、先方の施設の最寄り駅に着くと、改札を抜け、駅前のファーストフード店で朝食を摂る。三十分ほど時間を潰し、店を出て歩きながら、施設長にこれから向かいますと電話をかける。十五分ほどで施設に着く。インターフォンを鳴らし、施設長に挨拶を済ませると、箒と塵取りを借りて、仕事が始まる時間まで施設の周りを掃き掃除する。犬の散歩をしているおばさんが通りかかり、
「ごくろうさまぁ~」
と声をかけてきた。僕は声を出さずに小さく会釈して掃除を続ける。二十分ほど掃除を続けていると、玄関から施設長が出てきて僕にこう言った。
「おぉ~い、もぉいいって。仕事の前からそんな働くことない。こっちきて、いっしょに茶でも飲もぉや」
こういう時は「はい、わかりました」と返答し、気を利かせ声をかけてくれた施設長の言うとおりにするのが“正解”だということを、僕は知らなかった。
「いいです、いま喉渇いてません」
バカなのかと思われてしまいそうだが、僕はこのとおりに言った。施設長はちょっと困ったように頭をぽりぽり掻いて、でも不快そうにするわけでもなく、踵を返してゆったりとした足取りで家の中に入っていった。僕はかまわずに掃除を続けた。
僕は自分の家や自分の部屋、自分の領域に他人が入ってくることが苦手だ。同じように、他人の領域に自分が足を踏み入れることにも強い抵抗を感じる。相手が自分の過去を知っている場合は余計にそうだ。たとえ向こうが気にしない場合でも、僕が気にする。落ち着かなくなる。うまく言えないのだが、自分が属する世界を見失いそうになるのが嫌なのだ。
 
彼は更生保護施設を出て、今度は篤志家のYさんの家に世話になります。
保護観察所の課長と次長といっしょにYさんの家に初めて行ったときはこんな様子です。
 
玄関の引き戸は半分開けられていた。課長がインターフォンを押す。ぺちゃぺちゃとペンギンが歩くような足音を響かせながら、Yさんが玄関から出てきた。
「こんにちは。今日からよろしくお願いします」
僕はYさんに挨拶した。
「やあ。やっと来てくれたね。待ってたよ。ささ、そんなところに突っ立てないで、上がった上がった」
Yさんは僕と課長と次長を家の中に招き入れた。キッチンでは奥さんがスキヤキ鍋の準備をしていた。
「こんにちは。お世話になります」

僕は奥さんに挨拶した。
「あぁ、いらっしゃい。お腹空いたでしょう? ほらほら、座ってちょうだいな。あなたたちも、ほら」

そう言って奥さんは、僕と観察官たちをテーブルに促し、四人で鍋をつついた。
Yさんと彼の奥さんは、すべて事情を知った上で僕を自分の家に置いてくれた。彼らがいなければ、僕の社会復帰はなかった。
Yさんはとても明るくて、愉快な人だった。人とのどんな些細な繋がりも大事にしていた。僕の他にも、過去に傷がある人や、生き辛さを抱える人たちのために、手弁当であちこち駆け回り、無償で尽くしていた。
Yさんの奥さんは、穏やかで、物静かであるが、そこはかとない芯の強さと忍耐力を感じさせる人だった。奥さんは人付き合いが苦手な僕のことをよく理解してくれて、いつも一歩引いたところから、僕を支え、見守ってくれた。
彼ら二人は、嫌な顔もせず、文句のひとつも言わず、取り返しのつかない罪を犯した僕を実の家族のように迎え入れてくれた。食事や身の回りの世話ばかりではなく、これからどのように生き、罪を償っていけば良いのかを、僕と一緒に悩み、真剣に考えてくれた。自分でも気付かないところで、どれほどこの二人に支えられたかわからない。
Yさんは、僕が少しでも早く地域に溶け込めるように、僕をいろいろなところに連れて行き、友人知人に僕のことを「息子です」と言って紹介した。Yさんと親しい人たちも、皆親切だった。
 
Yさんのような人にはまったく光が当たりませんが、実際に世の中をささえているのはYさんのような人です。
 
私は前に「出口政策」と「入口政策」という言葉を使ったことがあります。刑務所の入口には、司法当局が推進する厳罰化の風潮に乗った人たちが群れて、「死刑にしろ」「反省しろ」「謝罪しろ」と叫んでいますが、刑務所の出口にはYさんのような人や無給の保護司がいて、静かに更生の手伝いをしています。
 
元少年AはYさんのもとにいてプレス工として働き、なんの問題もなかったのですが、自立への欲求が高まって、Yさんやサポートチームの管理下から飛び出して、まったく一人で生活するようになります。
そこにリーマンショックがきて、いわゆる派遣切りにあうなどしますが、困難な中で一人の若者が自立と自己回復を目指す過程は、普通におもしろく読めますし、感動的でもあります。
 
 
ともかく、元少年Aはもともと普通に生まれついていたと思われます。
一時異常な世界に行ってしまいますが、医療少年院、少年院、出所後のサポートチームなどの人々の支援でかなり立ち直ったと思われます(「反省しろ」などと叫ぶ人はなんの役にも立ちません)
 
そうすると、彼が一時異常な世界に行ってしまったのはなぜかということになりますが、それについては次回に書くことにします。