異常な事件を起こす犯人は、ほとんどの場合、幼児期に虐待を受けていたと考えて間違いありません。
酒鬼薔薇事件の少年Aの場合、当時14歳だったのですから、親による虐待以外の理由は考えられません。
これは私だけが思っているわけではなく、一部の人には常識です。
 
少年Aが受けた虐待の実態を詳しく述べているサイトはいくつもあります。
 
「絶歌」元少年Aの犯罪、原因は母親にあった? 
 

神戸連続児童殺傷事件「酒鬼薔薇聖斗」が生まれた原因は母親の愛情不足【時事邂逅】

 
少年Aの母の「懺悔」はあるのだろうか
―神戸事件で思うこと―
 
 
親や教師の責任を問わずに、もっぱら14歳の少年を非難するというのは、弱い者イジメ以外の何者でもありません。
元少年Aを非難する人は、犯罪というものを勘違いしているのだと思います(今は元少年Aは犯罪者ではないのですが)
 
私は「科学的倫理学」というのを標榜しているのですが、「科学的倫理学」から犯罪を見るとどうなるのかということを改めて説明しましょう。
 
 
たとえば終戦直後の日本で、お腹を空かせた戦災孤児が屋台から食べ物を盗んだとします。その子が飢え死にしそうであったとしても、それは犯罪として取り締まられます。屋台も商売をしているのですし、そういう盗みが許されたら商売が成り立たないからです。
しかし、その子の行為が「悪」かといえば、そうは言えません。つまり「悪」と「犯罪」は別なのです。
 
一方、飢えた子がいるときにも、金持ちの家ではご馳走が食べられています。
飢え死にしそうな人間の前で自分だけうまいものを食べても犯罪にはなりません。しかし、これは人間としては「悪」でしょう。
 
奴隷制社会では、監督官がどれだけ奴隷を鞭打っても犯罪ではありませんが、奴隷が少しでも監督官に反抗すれば犯罪です。
 
つまりなにが犯罪かというのは、強者に都合よく決められているのです。
 
なにがテロかというのも同じです。強者であるアメリカが決めます。
今はイスラム国の残虐行為が盛んに報道されますが、実際はアメリカの空爆、アサド政権のほうがたくさんの人を殺しています。
 
強者の行為は「悪」であっても、たいてい犯罪とはなりません。
贈収賄をするのは強者ですが、時効が贈賄罪は3年、収賄罪は5年と短くなっていますし、政治資金として届け出れば賄賂とは見なされないので、めったに摘発されることがありません。
 
今は犯罪報道が民衆にとっての娯楽になっています。凶悪犯罪はとくに喜ばれます。
これは古代ローマでコロシアムでの闘技が民衆の娯楽になっていたのに似ています。
 
テレビのワイドショーでコメンテーターが元少年Aをたたくのも同じです。元少年Aの犯罪は凶悪中の凶悪ですから。
 
しかし、いくら凶悪犯罪者をたたいても世の中はよくなりません。
世の中を悪くしているのは、犯罪者とはされない強者だからです。