岩手県矢巾町で中学2年生の少年が電車にひかれて死亡した事件で、その父親がイジメによる自殺だとして、学校の対応を批判しています。
これは2012年に大津市のマンションから中学2年生の少年が飛び降りて自殺し、少年は同級生から「自殺の練習」をさせられるなどのイジメを受けていたということで、父親が学校や教委の対応を批判した出来事にひじょうによく似ています。
「先生に助け求めていたのに…」男児の父親が悲痛な訴え
岩手県矢巾町(やはばちょう)のJR矢幅(やはば)駅で中学2年の村松亮君(13)が列車にひかれ死亡した事故で、村松君がいじめ被害をほのめかす内容をノートに記述し自殺したとみられることについて、飲食店を営む父親(40)が9日、産経新聞の取材に応じた。死体検案書には「鉄道自殺」と明記されており、長男の死について「真相を明らかにしてほしい」と訴えた。
ノートは村松君の自宅で見つかった。担任に提出していた「生活記録ノート」で、いじめの苦しみや自殺をほのめかす内容が随所につづられていた。
「先生に助けを求めていたのに…。無視された」。父親が最も衝撃を受けたのは、村松君が亡くなる6日前の6月29日に書かれた内容だった。
「ボクがいつ消えるかはわかりません。ですが、先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。もうすこしがんばってみます。ただ、もう市ぬ場所はきまってるんですけどね。まあいいか」(原文ママ)。「市ぬ」は「死ぬ」の意味とも読める。遺書ともとれる深刻な内容だが、7月1、2日に秋田県仙北市で予定されていた1泊2日の宿泊研修の直前で、担任の女性教諭は「明日からの研修たのしみましょうね」と記しただけだった。
「髪の毛をつかんで顔を机に打ち付けられていた」「複数の男子生徒に殴られていた」「しつこく砂をかけられていた」
村松君の死後にノートの存在を知った父親のもとには、村松君の悲痛な訴えを裏付ける証言が、同級生や保護者からもたらされた。
父親は4年前に飲食店を開店。当初は経済的に苦しく、給食費を期日に納められなかったこともあったという。村松君は、昼も夜も懸命に働く父親に心配をかけたくない思いからか、苦しみを吐露したのは同居する祖父だけだった。父親によると、「おじいちゃんに言って少し楽になった」と話していたという。
大津市イジメ自殺事件にきわめて似ているのに、世の中の反応が当時とはかなり違います。
当時は、学校や教委を批判する声が圧倒的でした。私は、少年の自殺には学校でのイジメよりも父親による虐待のほうが原因としては大きいのではないかと主張しましたが、こんなことを言っているのは私一人ぐらいでした。
父親による虐待があったか否かは別にして、一般論として、子どもが学校でどんなにイジメられていても、家庭が温かく子どもを受け入れていれば、子どもは自殺しないと思います。子どもが自殺したということは、家庭にも問題があったのです。ですから、親が学校を一方的に批判するというのは基本的に間違っています。
今回の岩手県矢巾町での自殺事件では、とりあえず2ちゃんねるの反応を見ると、イジメをした同級生や学校を批判する声がある一方で、父親を批判する声がかなりあります。大津市イジメ事件のころとは大違いです。
前回の「ネット私刑」書評の記事で書いたことですが、無関係な人のプライバシーをさらして訴えられた30代無職男性は、子どものころ学校でイジメにあい、父親は薄々そのことを知りながら対応せず、逆に子どもを叱咤していたということで、それが引きこもりやネット私刑の原因ではないかということが示唆されます。
安田浩一著「ネット私刑」書評
人間には安心感の得られる場所が必要です。それは普通は家庭であり、とりわけ母親の懐です。
しかし、それがなくても、代わりがあればなんとかなります。
酒鬼薔薇事件の元少年Aの場合、母親に叱られたとき、祖母の部屋に逃げ込んで、祖母に慰められていました。祖母が母親の代わりをしていたのです。
しかし、祖母が亡くなると、元少年Aはどこにも逃げ場がなくなり、追い詰められます。彼の場合、自殺ではなく殺人に向かうというレアケースでしたが。
岩手県矢巾町の自殺事件の場合、両親は離婚していて、子どもの逃げ場がなかったということも大きかったのではないかと想像されます。
家庭や親の役割の重要性が認識されてきたのはいいことですが、2ちゃんねるの場合は、学校や教師を批判するだけでは物足りずに、さらに親を批判するという格好になっています。
私の言う「道徳という棍棒を持ったサル」状態です。
しかし、この場合は親の愛情不足が問題なのですから、批判するのは方向が違います。批判されて愛情が湧いてくるということはありません。
必要なのは、親に対するカウンセリングなどの支援です。
とはいえ、子どもが自殺した場合、親の責任が問われるようになったのはよい傾向と思います。
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