安倍首相は7月17日、2500億円かかる新国立競技場建設計画を白紙に戻すと表明しました。あまりにも国民に不人気なので、あわてて方針転換したのでしょう。
 
一方、集団的自衛権行使を認める安全保障関連法案も不人気ですが、こちらはあくまで成立を目指すようです。
この違いはなにかというと、新国立競技場のほうはソロバン勘定だけなのに、安保法案のほうは複雑な心理がからんでいることです。
 
もちろん安保法制はアメリカの要請があってやっていることですが、安倍政権はアメリカの要請以上に前のめりになってやっています。その理由は、白井聡氏が「永続敗戦論」で書いたところの「敗戦の否認」でしょう。
日本人は「敗戦」を「終戦」と言い換えたように、敗戦という事実を心理的に受け入れることができず、その結果「永続敗戦」状態になっているというのが白井聡氏の説です。
 
日本はサンフランシスコ講和条約締結によって主権を回復したことになっていますが、そのときはまだアメリカの属国状態でした。しかし、敗戦を否認している人は属国状態も否認するわけで、そのため今にいたるも属国状態を解消することができていません。
 
その現実をごまかし通そうというのが日本の右翼のやり方です。
たとえば、憲法9条改正はアメリカの要請ですが、右翼は憲法9条はアメリカの押しつけだから改正するのだと主張するので、わけがわかりません。
 
もっとも左翼も、もともと日本を属国化するためのものである憲法9条を人類の理想だと言ってごまかしているわけですが(米軍に頼っているのでは理想になりません)
 
右翼も左翼も日本が属国状態にあることを否認しているので、安保法制についての議論がわかりにくくなります。たとえば、安倍首相はこんなたとえ話をしました。
 
「安倍は生意気だから殴ろうという不良が突然、(安倍を助けてくれようと一緒にいて)前を歩いていた麻生さんに殴りかかったとしよう。このような場合は私も麻生さんを守る。今回の法制で可能だ」
 
このたとえ話については、戦争を不良の喧嘩にたとえるのはおかしいという批判があり、このケースは個別的自衛権で対応できるという批判もあります。
 
さらに言うと、この場合の「麻生さん」というのはアメリカのことです。世界最強のアメリカに殴りかかる国があるかという疑問がありますし、かりに殴りかかる国があったとしても、アメリカは日本の助けなどなしに対処できるはずです。
 
集団的自衛権というと、弱い国が助け合うようなイメージがありますが、アメリカの国土が侵略を受けて、日本の助けが必要とされるという状況は絶対に考えられません。
アメリカが攻撃されるのは、アフガンでもイラクでもそうですが、アメリカが侵略して、向こうが自衛権の発動として攻撃してくる場合です。侵略されるほうは、アメリカ軍が世界最強であろうが戦います。
その場合、日本が「後方支援」すると、侵略の片棒を担ぐことになります。
 
アメリカ軍はなぜ中東にいるのでしょうか。中東の安定のためとかイスラエルを守るためとか言うでしょうが、日本はそれに賛同できるでしょうか。
 
安保法制に反対するほうもこうした議論をしません。アメリカ批判がタブーのようになっているからです。
 
安保法制批判をするよりアメリカ批判をしたほうが、手っ取り早くてわかりやすいはずです。