自民党の武藤貴也衆議院議員が戦争に行きたくないという若者をツイッターで「自分中心、極端な利己的考え」と批判し、物議をかもしています。
そのツイッターの文章は以下の通りです。
 
SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。」(武藤貴也 ?@takaya_mutou Jul 30
 
突っ込みどころが満載です。
いったい何歳の人かと思ったら、36歳でした。自分自身が戦後教育の産物なわけです。
それに、戦後教育を進めてきたのは自民党政権です。
戦争に行きたくないという気持ちが「極端な利己的考え」だというのなら、自分には戦争に行きたくないという気持ちはないのでしょうか。
 
要するにこの人は「自分」というものが見えていないのです。自分を棚に上げて人を批判しているわけです。
 
 
そもそも「利己的」という言葉は扱いがむずかしい言葉です。「科学的倫理学」を標榜する私が少し解説してみましょう。
 
人間はみな生まれながらに利己的です。資本主義は利己的な人間を前提としているので、うまく機能しています。利己的がいけないというのなら、資本主義を否定しないといけません。
 
とはいえ、利己的な行為のすべてが肯定できるわけではありません。
ですから、「正当に利己的」と「不当に利己的」と分けて考えるべきなのです。
 
英語にはegoisticという言葉のほかにselfishという言葉があります。egoistic は「不当に利己的」という意味で、selfishは「正当に利己的」か、少なくとも中立的で悪い意味のない言葉です。
ちなみにドーキンスの「利己的な遺伝子」の「利己的」はselfishです。
 
英語にならって「利己主義的」と「利己的」とを使い分ければいいのですが、「利己主義的」という言葉は一般的ではなく、現状はほとんど「利己的」という言葉が使われています。そして、「利己的」という言葉は悪い意味です。
そのため「利己的」という言葉を基準に考えると、周りの人間はみんな悪く見えます。
 
これを避けるには、まず自分が利己的な人間だと認めることです。そうすれば、他人が利己的でも許せますし、なにが公平かということも正しく判断できます。
 
自分が利己的だということを認めないと、周りの人間がみんな(不当に)利己的に見えます。実際よりも2倍利己的に見える理屈です。そのため本来の性質以上に利己的に、つまり利己主義的にふるまってしまいます。
 
ちなみに右翼というのはみんな利己主義者です。国家主義というのは国家規模の利己主義だからです。
そういう意味では、自民党には利己主義者が多いことになります。
 
利己主義者は道徳教育に賛成です。若者が利己的にふるまうのを阻止したいからです。
しかし、実際は道徳教育は利己主義の連鎖を招きます。
武藤議員はそうした自民党教育の犠牲者かと思われます。