安倍首相の戦後70年談話は、中国韓国に対していかに形だけ謝罪して実質的には謝罪せずにすませるかということを最大のテーマにして書かれたものだった気がします。安倍支持派の人たちもその点を評価しているようです。
しかし、それは国内問題です(より正確には安倍首相の内面問題です)
それに、関心が日本と中国韓国との関係に集中しているために、日本と欧米の関係がおろそかになり、そこに問題が生じています。
 
それはたとえば、安倍談話のこの部分に表れていると思います。
 
 
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
 
 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
 
 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
 
 そして七十年前。日本は、敗戦しました。
 
 
これは完全にアメリカ中心史観です。安倍談話はそれを受け入れているわけです。
日本の右翼は、あの戦争は自存自衛の戦争だったという靖国史観に立ってきたわけですが、談話はそれを否定しています。
 
靖国史観はもともとデタラメですから、それはいいのですが、問題は、これでは悪いのは日本だけで、欧米は悪くないと読めてしまうことです。
 
「第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました」と書いてありますが、植民地化にブレーキはかかっても、植民地は植民地のままでした。
いや、例外はアメリカです。アメリカは1934年にフィリピン独立法を制定して、10年後にフィリピンを独立させることを決めていました。
しかし、イギリスもフランスも植民地を解放するつもりはありませんでした。イギリスがインドの独立を認めたのは1947年ですし、フランスは1962年までアルジェリア支配を続けました。
アメリカにしても、いち早くフィリピン独立を認めたとはいえ、それまで植民地支配を続けたことの罪はあります。
 
ところが、欧米諸国は植民地支配を謝罪したことはありません。
日本は一応植民地支配を謝罪しましたから、この点で日本は欧米諸国に対して優位に立ったはずです。
ところが、彼らは上から目線で日本の謝罪の仕方を論評しています。
 
なぜこんなことになっているのでしょう。
それは日本の謝罪の仕方が中途半端であり、かつ侵略や慰安婦問題についてろくに謝罪してこなかったからです。
侵略や慰安婦問題については、日本と欧米は違います。これについてはちゃんと謝罪し、問題を終わらせておく必要がありました。そうすれば、植民地支配について先に謝罪した日本が優位に立てるわけです。
 
安倍首相は中国韓国への謝罪をごまかすことばかり考えて、欧米に対して優位に立つチャンスを逃してしまいました。