ネオファースト生命のテレビCMに「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじが出てくるのを見て、水木しげる先生はおもしろいキャラクターを考えたなあと改めて思いました。
 
目玉おやじというのは鬼太郎の父親で、一度死ぬのですが、鬼太郎のことを案じるあまり、腐った死体の目玉に魂が宿って蘇ったという設定です。
体が小さいのでたいしたことはできませんが、妖怪のことはなんでも知っているので鬼太郎にいろいろなことを教えてくれますし、鬼太郎の心のささえにもなっています。
 
鬼太郎が生まれたときに母親は死んでいるので、父親も死んでしまったら鬼太郎は天涯孤独になって、かわいそうすぎます。かといって父親が健在であれば、主人公の鬼太郎の存在感が薄くなってしまいます。そこで、目玉だけの存在になったのではないかと思われます。
 
目玉だけの存在なので、基本は鬼太郎を見守ることしかできません。それがいいのだと思います。
 
世の中には目玉おやじとまったく逆の、「子どもに背中を見せる」というポリシーを持った背中おやじがいます。
「子どもは親の背中を見て育つ」という言葉があるので、そこからきているのではないかと思いますが、この言葉は、親は子どもの前でいくら格好をつけても、子どもは親のほんとうの姿を見ているといった意味です。それを曲解して、親は子どもに向き合わずに背中だけ見せていればいいのだと思っているわけです。
 
「背中を見せる」ということは、子どもを見ていないということですから、目玉おやじの逆です。
 
普通に生活していれば、子どもは父親の背中も腹も、全部見ます。「背中を見せる」というのは、意識的に子どもに向き合うことを拒否しているわけです。
実際は仕事ばかりして家庭を顧みないということでしょうが、職業人としていくら立派でも、それによっていい父親になるわけではありません。
 
背中おやじは目玉おやじを見習うべきです。
 
目玉だけの存在にならずに、人間として子どもと向き合うのがいちばんよさそうですが、必ずしもそうとはいえません。父親が子どもと向き合うと、どうしても教育熱心になって、星一徹みたいに子どもの人生を乗っ取ってしまいかねないからです。
 
そういう意味では、見守るだけの目玉おやじというのは絶妙の存在に思えます。