1019日は安保法案成立からちょうど1か月で、国会前などで法案の廃止を訴える集会が開かれました。
1か月もたつと、私も冷静に考えられるようになり、賛成派の言い分にも目配りできるようになりました。
たとえば、ダウンタウンの松本人志氏は920日の「ワイドナショー」において、安保法案について「日本が自立するための法案なら賛成なんですよ。ただ、アメリカに言われて泣く泣くやってるものだったら反対なんです」と言いました。
「そこが肝心のところなんだから自分で判断しろよ」と突っ込みたくなりますが、松本氏はもともと安保法案賛成派で、反対デモについて「完全に平和ボケですよね」と言ったりしていましたから、そのときからは考えが“進化”したようです。
「日本が自立するための法案か否か」ということが問題の本質をついているのは確かです。
 
 
石破茂地方創生担当相は自民党でも安全保障政策の第一人者で、もちろん賛成派に決まっていますが、この問題について意外な言葉を使いました。石破氏のブログからその部分を引用します。
 
 
同盟のジレンマなど
 
安全保障法案について、本欄をご覧の皆様にどうしてもお考え頂きたいのは「同盟のジレンマ」、すなわち「戦争に巻き込まれる恐怖」と「同盟国から見捨てられる恐怖」についてです。前者のみが強調され、国会においての議論も集中したように思われますが、後者についてどのように考えるべきなのか。
  有史以来、集団的自衛権という概念が確立する遥かに前から、同盟を結んだあらゆる国々は、このジレンマの相克に悩みながら自国の安全保障について政策を立案してきたのですし、成功例も、失敗例も枚挙に暇がありません。
  日本において前者のみが強調され、後者についてほとんど議論がなされないことがいかに異様で、いかに恐ろしいものなのか。後者が現実となった時に慌てふためいても、装備の造成にも、部隊の錬成にも、恐ろしく長大な時間と膨大な労力とがかかるのであり、これらを為さないままに辿るであろう国家国民の運命に思いを馳せたことがあるのだろうか。それが国民に対して責任ある国家の為すことなのか。私は決してそうは思いません。長くこの仕事に関わってきた者として、痛切な反省とともにそう思います。
 
 
石破氏が「同盟国から見捨てられる恐怖」という言葉を使ったのは意外でしたが、これが実に本質をついた言葉だと思います。
賛成派の本心はこの言葉に尽きるでしょう。
 
石破氏は「同盟を結んだあらゆる国々は、このジレンマの相克」に悩んだと言いますが、そんなはずはありません。日本は日英同盟、日独伊三国同盟を経験していますが、そのときに「同盟国から見捨てられる恐怖」があったとは思えません。いや、今の日米同盟において、アメリカが「同盟国から見捨てられる恐怖」を感じているかどうかを考えればわかります。
 
同盟関係とは本来対等の立場で、双方の合理的判断によって結ばれるものだと思いますが、そういう意味では日米同盟は同盟たる要件を欠いています。“同盟もどき”です。
 
石破氏は「同盟国から見捨てられる恐怖」という言葉で安保法案を正当化しようとしたのですが、逆に安保法案はもとより日米同盟の異常さを浮き上がらせてしまいました。
 
「同盟国から見捨てられる恐怖」というのは心理学上の問題ですから、外交や防衛でなにをやっても解消することはできません。逆にやればやるほど「同盟国から見捨てられる恐怖」のもとである依存心が強まってしまいます。