北野武著「新しい道徳」が売れています。
私はこの本についてすでに書評を書きました。
 
北野武著「新しい道徳」書評
 
北野氏はこの本で、道徳についてさまざまな疑問を呈して、「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」と主張しています。ところが、北野氏は母親から「食べ物が美味しいとか不味いとかいうのは下品だ」とか「行列に並んでまで食い物を喰うのは卑しい」と教えられ、それは受け入れていて、奥さんの料理にも「うまい」と言わないのだそうです。
おいしいものを食べる喜びを家族で共有するというのは、人間の幸せのもっとも基本的な部分ですが、北野氏にはそれがないわけです。
 
なぜ北野氏は母親から教えられたことは無批判に受け入れてしまうのかということが気になって、北野氏の「たけしくん、ハイ!」を図書館から借りてきて読んでみました。
 
 
「たけしくん、ハイ!」は、1947年生まれの北野武(ビートたけし)氏が幼少期の思い出を書いた本です。貧乏な暮らし、塗装業だった父親の仕事を手伝ったこと、紙芝居、ベーゴマ、川遊び、凧揚げなどの遊びのことが細かく書かれています。テレビドラマにもなったので、ご存じの方も多いでしょう。ここでは、北野氏と母親との関係に注目して、引用してみます。
 
 
小学校6年生ぐらいのとき、北野氏は母親といっしょに神田に行って、5教科全部の参考書や問題集を買ってきます。
 
そんで、帰ってきたら、
「さぁ、勉強しろ」
って始まっちゃってさ。
で、初めは目新しいから、一応すわってやるんだよね。そしたらおふくろ、にやにや笑って喜んでるわけ。三日目になったら、おっぽりだして、なにもやらなかったら大変よ。なぐるけるでさ、すごかったよね。
もう、パンチの雨なんだもの、うちのおふくろ。押し入れの中にまでけっとばされたりしてさ。鬼のようだったね。本当に、鬼子母神のようだったよ。恐かったなぁ、あれ。
そういう母親なんだもん。まぁ、すごい母親だったね。あれ。そいで、おやじが、酔っぱらいであれだもんね。異常な世界だよ、俺んとこ。
 
 
俺もほんと悪いガキだったけど、やっぱりおふくろだけには勝てなかったよね。
なにがダメというより、なにをやってもおふくろにもう見破られたってとこあるからね。なにやったって俺しかいないんだから、悪いことすんのは。だからあのころ、何をするにもおふくろとの対決だったんだよ。おふくろをだますか、見つかっておこられるかのどっちかだったからね。
 
 
あるとき、近所の質流れの店にお兄さんといっしょにグローブを買いに行きます。それもなぜか台風の日に必死で行くのですが、わずかにお金が足りなくて買えません。
 
兄きは異常に口惜しがってね。ついに泣きだしちゃったんだよ、質屋の前でね。それがまたすごく悲しくてさ、二人で泣きながら帰ってきたんだ、うちまでね。
うちまで泣きながら帰ってきたら、おやじがおふくろをぶんなぐってるの。夫婦ゲンカしてるのよ、いつものね。それ見て情けなくなっちゃってさ。情けないっていうか、もうなんとも悲惨だったんだ、あのころ。
日曜日だし、雨降ってるからペンキ屋できないわけよね。仕事はできねえし、おふくろは仕事がねえからって、おやじのことののしったらしくてさ。おやじは一升ビンかなんかで酒飲みながら、おふくろをけっとばしたりして。兄きは兄きで、グローブ買えなかったのが口惜しくて泣いてるし。とりあえずオレも泣かなきゃしょうがないって、意味もなくオレも泣きだしちゃってね。ほんと、それが情けなかったんだ。
おやじはいつも殴ってたんだよね、おふくろのことを。婆さんが出てくると、その婆さんまでけっとばしたりしてたんだもの。おやじの実の母をだよ。おやじのおふくろは、義太夫の師匠でさ。俺のおふくろと、つまり嫁と姑の仲がいいわけよね。そんで婆さんは、自分の息子であるおやじがどうしょうもないダメ人間なのを知ってるから、
「すまないね、すまないね」
って、いつもおふくろにあやまってるんだ。それをきくとおやじはいつも怒ってさ、
「テメェの息子に対して、なんだこのババァが」
とかいって、けっとばすんだよ、婆さんをね。八〇いくつの婆さんをだぜ。ムチャクチャなんだから、もう。地獄なんだ、俺んち。
 
 
この本は、古きよき時代を描いたノスタルジックなムードの本と思われているようですが、よく読むと、ドメスティック・バイオレンスと幼児虐待の本でもあります。私は読んでいて、元少年Aの家庭に近いのではないかと思いました(時代が違うので、こちらの家庭は開かれていますが)
 
母親はとても学歴にこだわる人で、北野氏はきびしく勉強を強制され、明治大学に進学しますが、結局中退して母親の期待を裏切ってしまいます。
当然北野氏には母親に対する恨みなど複雑な思いがあるはずですが、ウィキペディアの「ビートたけし」の項目によると、『1999年(平成11年)8月に母が死去した際には通夜の後に記者会見で、「俺を産んで良かったと思って欲しい…」と絶句し、泣き崩れる場面を見せた』ということです。
 
父親については、暴力だけではなく、人間的な描写がいろいろとあります。たとえば、ある年のクリスマスに高校生のお姉さんがケーキを買ってきます(母親はクリスマスらしいことをしなかったようです)。そこに酔っぱらった父親が帰ってきて、ちゃぶ台の上のケーキを見て、「バカヤロー。ペンキ屋の家でクリスマスパーティーもなにもあるかい」と言ってちゃぶ台をひっくり返し、北野氏とお姉さんはぐずぐずになったケーキを見てわんわん泣いて、父親はまた家を出ていってしまいます。しかし、よく見たら玄関に大きな紙袋が置いてあって、ひげのついたセルロイドのめがねと、クラッカーが入っています。おそらく父親は必死の覚悟でそのクリスマスセットを買ったものの、それを子どもに出すことができず爆発してしまったのだろうと察して、そのとき北野氏は泣いてしまったそうです。
 
つまり父親についてはそうした人間的な弱さを洞察しています。しかし、母親についてはそういう描写がありません。
母親から「食べ物が美味しいとか不味いとかいうのは下品だ」と言われたとき、母親は料理が苦手だからそんなことを言うんだろうという洞察があれば、その教えに縛られることはなかったでしょう。
親から虐待された子どもは、それを虐待と認識することができず、逆に親をかばいます。北野氏はいまだそういう段階にあるのではないかと思われます。
 
「新しい道徳」は道徳について深く考察した本ですが、母親との関係が洞察できていない分、不徹底になってしまいました。