私は京都生まれなので、子どものころはお寺や神社の境内で鬼ごっこやかくれんぼや木登りなどをしてよく遊んだものです。家の近くの広い空間というと、どうしてもお寺や神社ということになるのです。
そんな私にとってはびっくりの記事がありました。
 
 
「子を叱るのは親の責任」世界遺産の神社に置き紙 ネットに共感の声、書いた神職の思いとは
 
 世界遺産にも登録されている京都の「宇治上神社」。この神社が作った参拝者向けの紙が話題になっています。「小さなお子様をお連れの親御様へ」と題したメッセージ。内容についてネット上では「当然のこと」「ここまでの注意書きが必要とは」といった声が上がっています。神職はどんな思いで書いたのか? 話を聞きました。
 
 
A4サイズの1枚の紙
 
 神社建築では日本最古の本殿がある宇治上神社。お守りなどが並んでいる棚のあたりに、神社の説明文などとともにA4サイズの紙が置いてあります。そこには、こう描かれています。
 
  「ここは神社です。皆様が心を静めてお参りをされる場所です。テーマパークでもファミリーレストランでもありません。サービス業ではないのです。『お客様は神様』の自論は通用しません。本当の神様は目の前においでです。当然、不敬な行動は叱ります。親御さんがお子様をしっかり御監督なさって下さい。お子様を叱るのは、親の責任ですし、親が不行き届きで、周りの人に叱っていただいたなら、逆切れではなく、『ありがとうございます』です。自分本位な考えの大人になられないように、正しい教育で共にお子様の健やかなる成長を見守りましょう」
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ネット上の反応は
 
 この貼り紙に対して、ネット上では以下のような声が上がっています。
 
  「まったくもってその通り」
  「全参拝者が読むべき」
  「当たり前のことを掲示しなければいけない悲しさ」
  「神社にこんな貼り紙がしてあるって本来異常なことだよね」
  「神社だけでなくサービス業の店員であっても注意すべきだと思う」
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書いた神職に聞きました
 
 この貼り紙、どんな思いで書かれたものなのか? 神職の片岡剛さんに話を聞きました。
 
  ――書いたきっかけを教えてください
 
  「世界遺産になってから参拝者も増えています。そんな中、私たちが子どもを注意すると、逆にその親から苦情を言われるケースが増えてきたためです。他の参拝者のためにも、守っていただきたい一般的なことを書きました」
 
  ――どんな思いを込めたのでしょうか
 
  「子どもの頃にやりたいことをやって、そのまま大きくなったら大変なことになりかねません。子どものうちに、しっかりと親や周囲の大人が教えることが必要だということが伝わればと思っています」
 
  ――文字の色やフォントを変えたり、「お客様は神様」という表現を引き合いに出したり、工夫されていますね
 
  「当たり前のことを当たり前に書いても読んでもらえないと思ったからです。気にとめてもらえないし、堅い内容だと読むのがしんどくなりますから。ただ、この紙は神社の紹介文などと一緒に置いてあるもので、大々的に訴えているわけではありません」
 
  ――「神社に限らず、世間一般に当てはまる指摘だ」といった声もあります
 
  「子どもたちは宝です。健全に育つように周りの大人が見守っていける、そんな社会であったらいいなと思います」
 
 
この神職は「ここは神社です。皆様が心を静めてお参りをされる場所です」と書いていますが、なにか勘違いをしているのではないでしょうか。
神社といえば祭りをするところです。縁日もあります。今私が住んでいるところの近くの神社では、神楽、和太鼓、カラオケ大会などにぎやかな催し物をよくやっています。
初詣のときの有名神社はどこも押すな押すなの大賑わいで、「心を静めてお参り」できるとは思えません。
そもそも鰐口を鳴らして柏手を打つという参拝の形式も静かなものではありません。
「心を静めてお参り」する場所というのは、お寺やお墓のことではないでしょうか。
 
とはいったものの、この宇治上神社になにか事情があるのかもしれません。
今年、靖国神社はみたままつりでの屋台の出店を中止しました。若者が増えて、強引なナンパや未成年の飲酒・喫煙などが問題になってきたからだということです。
この神社も世界遺産になってから参拝者が増えてきたということですから、いろいろとトラブルが増えて、そのため子どもをスケープゴートにしているのかもしれません。
 
それにしても、その論理はめちゃくちゃです。
「本当の神様は目の前においでです。当然、不敬な行動は叱ります」と書いていますが、「七歳までは神のうち」というのが日本人の伝統的な考え方です。神様である子どもを叱るなど神職としてはありえないことです。
 
また、子どもを叱ることは子ども自身のためであると考えているようですが、子どもが騒ぐのは自然な姿ですから、それを叱ってやめさせると子どもの正常な発達を阻害します(叱って“おとなしい子”や“よい子”にすると、のちのち問題が生じます)
 
子どもが騒ぐのは迷惑だから叱るというのは、年寄りがのろのろ歩くのは迷惑だから叱るというのと同じです。
 
とはいえ、神社の側の都合で、子どもが騒ぐのは困るということもあるでしょう。そういうときは、子どもを傷つけないように、やんわりと子どもに騒がないように頼めばいいのです。
それができるのがおとなというものです。