アメリカ共和党の大統領候補ドナルド・トランプ氏が人気になっているのを見ていると、レイ・ブラッドベリの「雷のような音」(「雷のとどろくような声」「いかずちの音」とも)という短編小説を思い出します。
これは「サウンド・オブ・サンダー」というSF大作映画の原作ですが、原作のほうはむしろ小味な作品です。
 
タイムトラベルが商業化されている未来社会。主人公は恐竜狩りツアーに参加します。ちょうど大統領選挙が終わったところで、キースという穏健派の候補が当選しました。主人公がそのことを話題にすると、時間旅行会社の受付の男はこんなことを言います。
「われわれは幸運です。もしドイッチャーが勝っていたら、この国は最悪の独裁国になったでしょうね。あれはすべてに反対する男です。軍国主義者で、キリスト教に反対し、ヒューマニズムに反対し、知性に反対している」

過去になにか影響を与えると今の歴史が変わってしまうから絶対にしてはいけないときびしく注意されて時間旅行に出かけますが、主人公は間違って一羽の蝶を踏みつけてしまいます。これぐらいたいしたことはないだろうと思って帰ってくると、前と微妙に様子が違います。受付の男の感じも違うし、壁に書かれた文字のスペルがでたらめになっています。主人公は恐る恐る受付の男に昨日の選挙の結果をたずねます。
「あんた、それ冗談だろ。よく知ってるくせに、もちろんドイッチャーだよ! あったりめえじゃねえか。あんな軟弱なキースの野郎が大統領になってたまるかよ。ドイッチャーは鉄の男さ。あんなに度胸のある奴は、ほかにいねえよ!」

蝶を踏みつぶすという「ほんのちょっとしたこと」が、大統領選の当選者が変わるという「ちょっとしたこと」につながり、それが独裁制の恐怖と、もしかして核戦争による世界の破滅にもつながるかもしれないという恐怖が描かれるわけです(映画「サウンド・オブ・サンダー」では過去からショック・ウェーブが襲ってきて、世の中が大パニックになるというストーリーです)

ブラッドベリには、書物が禁止された未来社会を描く「華氏451度」がありますが、それ以外に政治的な小説はほとんどなく、それだけに印象に残っています。
 
日本でこれを収録した短編集が刊行されたのは1962年ですが、今調べると、アメリカで発表されたのは1952年だということです。明らかにヒトラーを念頭に書かれた作品と思えますが、ちょうどマッカーシズムが吹き荒れているさ中ですから、それに対する思いもあったのかもしれません。

私がこの短編小説を読んだのは高校生のときですが、そのときからアメリカにヒトラーのような大統領が出現する可能性というのはつねに念頭にありました(対米追随主義者はまったく考えないのでしょうね)。
トランプ氏はもちろんヒトラーとは違いますが、イスラム教徒入国禁止というのはユダヤ人差別にも匹敵する差別政策ですし、大戦中の日系人強制収容所を肯定するかのような発言もしています。
 
もしトランプ氏が大統領になると、テロリストに対する強硬姿勢というのは絶対に変えないでしょう。そして、軍事力でテロリストを一掃するというのは明らかに不可能ですから、どこかの時点で行き詰まり、自暴自棄になって、たとえば核兵器を使用するようなこともやりかねないと思います。
 
ドローンによる空爆とかサイバー攻撃とか、戦争のやり方もSF的になっていますが、アメリカの大統領選挙もSF的になってきました。