111日は各地で成人式が行われ、早くも成人式にまつわるトラブルがいろいろ報道されています。毎年“荒れた成人式”が問題になるのはどうしてでしょうか。
 
成人式が荒れるのは、式のあり方にも問題があるからではないかと思います。
たとえばこんなニュースがあります。
 
 
成人式「きちんとした服装で」奇抜な衣装に苦情
 
 
北九州市は成人式に参加する出席者に対し、「きちんとした服装」で参加するよう呼びかけを行ったというのです。
「きちんとした服装」の例として、男性はダークスーツ、女性は振り袖などが挙げられています。
 
奇抜な服装の出席者が多いためということですが、それにしても、自治体が主催する会合、それも全員参加が前提の会合に服装について要望するなどありえないことです。自治体主催の講演会とか、PTAの会合に服装を指定されることを考えてみればわかります。
つまり服装について要望するのは、新成人をまだ一人前の人間と認めていないわけです。
 
もっとも、厳粛であるべき成人式に奇抜な服装で参加する非常識な若者がいるのだから、服装を注意するのもしかたないのではないかという意見もあるでしょう。
 
しかし、成人式は厳粛であるべきというのは誰が決めたのでしょうか。
 
成人式が厳粛であってうれしいのは、壇上であいさつする市長とか市会議員とかの偉いさんです。みんながかしこまって聞いてくれるからです。
しかし、成人式の主役はそういう偉いさんなのでしょうか。
 
結婚式の主役は新郎新婦ですから、列席者は、男ならダークスーツ、女性も派手なドレスは避けます。
葬式も主役()は故人ですから、列席者はもっとも地味な服装です。
ノーベル賞などの授賞式では、もちろん主役は受賞者ですから、一般の列席者は失礼のないような服装でなければなりません。
 
もし成人式の主役が壇上であいさつする市長などの偉いさんであれば、新成人はダークスーツなどがいいことになります。
しかし、どう考えても、成人式の主役は新成人です。
だったら、どんな服装でもかまわないはずです。
 
 
成人式の主役が新成人であるとすると、今の成人式のあり方は根本的に間違っていることになります。
 
今の成人式は、若者に人気のある人の講演とかコンサートとかもあるようですが、基本は偉い人のあいさつとか訓示で、新成人は1人が代表として決意表明をするぐらいです。それ以外の新成人はじっと座って聞いているだけです。これでは偉い人のための式です。
正しい式のあり方は、旧成人は1人が代表として祝福の言葉を述べるぐらいで、あと壇上に上がるのは新成人ばかりでよいはずです。
いや、そもそも主役のほとんどがじっと観客席に座っているというのはどうなのでしょうか。
 
ほとんどの参加者は、式そのものには期待せず、式のあと久しぶりに友だちと会って、いっしょに遊びにいくことに期待しているのではないでしょうか。
それならば、式そのものをパーティ形式にすればいいのです。
 
会社の創立記念式典とか文学賞の授与式とかは、たいていパーティ形式で、壇上のあいさつなどは短時間で切り上げて、あとは飲み食いしながらの「歓談の時間」になります。
成人式も、会費を徴収して、パーティ形式にすればいいのです(会費を払いたくないという人のために従来型の成人式も同時にやる必要があるでしょうが)
 
新成人が酒を飲むと、いろいろとトラブルが起きるでしょうが、それもおとなへのステップです。
盛装してパーティに出るという経験は、若い人にとってそれ自体価値があるはずです。
 
とにかく、壇上の偉い人の訓示に価値のあるものなどひとつもないと断言できます。
各自治体は、新成人にとって価値ある成人式を企画するべきです。