SMAPを巡る騒動を見ていると、日本のマスコミやジャーナリズムのひどさが浮き彫りになった気がします。
 
SMAPのメンバーは18日に放送されたフジテレビ系「SMAP×SMAP」に生出演して、謝罪の言葉を述べました。





一応謝罪はしていますが、今後どうするかということはまったく語っていません。それでもマスコミは「分裂回避」「SMAP存続」と報道しています。
 
これについてファンの反応は、「見せしめ」「お通夜」「私が知っているSMAPじゃない。まるで別人」「見ていられない」「納得できていないまま立っているのが分かる」「言わされている感じ」「生放送での公開パワハラ」といったものが多いそうです。
 
ここにいたるいきさつについてはいろいろ書かれていますが、ひとつ確実に言えるのは、キムタク以外の4人はジャニーズ事務所の力に屈服させられたということです。
そういう意味ではまさに「生放送での公開パワハラ」です。
 
ジャニーズ事務所は芸能界において圧倒的な力を持っています。狭い芸能界でジャニーズ事務所ににらまれては生きていけません。4人が屈服したのはしかたのないことです(ジャニーズ事務所に対抗できる有力な事務所に移籍しようとしたのですが、その話が土壇場でだめになったということのようです)
 
問題はマスコミの報道のしかたです。
こういう芸能界の力学を解説するのではなく、SMAPのマネージャーと4人が事務所の恩を忘れて独立を画策し、キムタクにたしなめられて反省したというような“道徳の物語”になってしまっています。
要するにマスコミも芸能界の力学の中に取り込まれているのです。クラスの中にイジメがあるとき、イジメを止めるのではなく、イジメに加担しているみたいなものです。
 
 
ところで、マスコミの報道姿勢については、古舘伊知郎キャスターがインタビューで、「キャスターはどういう役割か」と聞かれて、「生意気な言い方だが、権力に対して警鐘を鳴らす、権力を監視する」「基本的にニュースキャスターは反権力であり、反暴力であり、表現の自由を守る側面もある」と語りましたが、産経新聞の記事がこれにかみついています。
 
 
 政権の政策には当然、評価に値し推進すべきものもあれば、問題があって修正すべきものもあります。それらを全て「反権力」の視点で、対案を示さずにあら探しばかりをしていたら、国民の間には政治不信が広がるだけで、政策は停滞してしまいますから、結果的に国益に反します。
古舘氏が12年間も放送法の規定を理解しないままキャスターを務めてきた責任は重く、まだ3月末まで続けるというなら、まずは先の「キャスターは反権力」という発言を撤回し、「政治的公平」に基づいた報道に徹してもらいたいと思います。
 
 
こんな考えだから、産経新聞は安倍政権批判の記事が書けないのでしょう。
この記事は人間性についての基本的な理解に欠けています。
 
たとえば、「政権の政策には当然、評価に値し推進すべきものもあれば、問題があって修正すべきものもあります」とありますが、これを書いた記者は自分はそれを正しく判断できると思っているのでしょう。しかし、権力がからむと、ほとんどの人は正しい判断ができません。人間は権力に尻尾を振るように生まれついていて、そこに認知バイアスがあるからです(人間は「反権力」でなければ「公平」な判断はできないわけです)。
 
権力に尻尾を振るのは、生きるのにそうしたほうがいいからです。たとえばサラリーマンが「反権力」の姿勢でいたら、出世なんかできません。
しかし、会社が赤字続きで、あるサラリーマンが経営改革案を出すプロジェクトチームのトップに任命されたとします。経営改革案というのは、これまでのやり方の非を指摘するものですから、当然会社の上層部と軋轢を生みます。「反権力」の姿勢がなければ正しい改革案は出せません。
 
ジャーナリストやキャスターは、世の中をよくするための役割が期待される職業ですが、どんな世直しも権力との軋轢を生みます。普通の人間は権力の網の目にからみとられて生きていますが、ジャーナリストはそれとは別のスタンスが必要なわけです。
 
芸能報道でも同じことです。「反権力」の姿勢がないマスコミは、芸能事務所と所属タレントの関係を正しく報道することができません。
しかし、一般のファンは芸能界の権力とは無縁の立場ですから、客観的に評価しています。
今回のSMAP報道で、権力に弱いマスコミの体質があらわになった感があります。