3月22日、ベルギーの空港と地下鉄で同時テロがあり、少なくとも34人が死亡しました。
マスコミは例によって盛大な差別報道をしています。朝日新聞は25日の朝刊もこの事件が一面トップでしたが、「地下鉄駅での爆発に関与したとみられる新たな容疑者が浮上した」というたいしたことのない内容です。
 
ベルギーのテロの3日前である19日にはトルコのイスタンブールで自爆テロがあり、4人が死亡し、その前の13日にはやはり自爆テロで37人が死亡しています。そのときの報道はある程度大きいものでしたが、あと追いの報道は、犯人はクルド系組織かISかといったものだけでした。
そもそもトルコではこの半年にテロで亡くなった人が180人以上になると毎日新聞が伝えています。
 
トルコ
自爆テロ、半年で4回 死者は計180人以上
 
トルコでのテロはあまり報道せず、ベルギーでのテロは大きく報道するというのは、どういうことでしょうか。人の命の価値に違いはないはずです。
 
20151113日にパリで同時多発テロがあり130人が死亡したときは大きく報道され、フェイスブックは顔写真のアイコンをトリコロールに変えられるサービスをするなどして、世界的に犠牲者を悼む声があふれました。しかし、その前日にはレバノンのベイルートで43人が死亡する連続自爆テロが起きていたのですが、こちらはほとんど顧みられませんでした。このときは「フランス人の命はレバノン人の命よりも重要なのか」という指摘があって、けっこう議論になりました。
そのときの教訓が今回に生かされたかというと、そんなことはぜんぜんありませんでした。
 
もっとも、人々の関心が文明の進んだ国に向かいがちなのも事実です。アフリカのどこかの国で何十万人も餓死者が出ているといったことは、小さなニュースにしかなりません。
 
ただ、トルコはそんなに遅れた国ではありませんし、日本とは関係が深く、安倍首相も二次政権になってから2度も訪問しています。海外旅行先としても人気です。
それなのに日本のメディアがベルギーと差をつけるのはどうしてかというと、やはり欧米の文化を崇める気持ちがあるからでしょう。欧米コンプレックスという言い方もできます。
 
これはメディアだけではなく日本人全体の問題です。日本人は明治維新以来、欧米からさまざまなことを学んできましたが、そのときに人種差別、イスラム教差別も学んでしまったのです。
 
欧米における人種差別、イスラム教差別はひじょうに根深く、これこそがテロを生む原因です。
ベルギーを含む有志連合はISへの空爆を続けてきましたが、ISの戦闘員やイラク人、シリア人の民間人を殺すことをなんとも思っていないようです。これが差別意識です。
 
しかし、相手は人間ですから、やられっぱなしでいるわけはなく、報復してくるのは当然です。報復されて、あわてふためいているのはおかしなことです。
 
そもそもはイスラエルが独立を宣言したとき、アメリカなどが支援したのも、そこに住んでいたパレスチナ人などを人間と見なしていなかったからでしょう(アメリカとしては先住民を追い払って建国した歴史の繰り返しです)。
そのときから欧米キリスト教諸国が中東のイスラム教徒を迫害するという構図が始まり、軍事力でアメリカやイスラエルに勝てないイスラム教徒はテロを手段にするようになったわけです。
 
最近は自爆テロが当たり前になっています。死ぬ覚悟の人間を止める方法があるとは思えません。今のテロ対策はみんなごまかしです。
テロの原因となっている人種差別、イスラム教差別をなくすしかありません。
 
安倍首相はベルギー同時テロについて、「いかなる理由があろうとも断じてテロは許されない。日本と価値を共有するベルギー、欧州連合が困難に直面している今、強い連帯を表明する」と発言しました。
「日本と価値を共有する」とは、まるで人種差別、イスラム教差別を共有しているみたいです。
欧米に追随するだけでは世界になんの貢献もできません。