古舘伊知郎氏は報道ステーションの最後の出演において、「人間は少なからず偏っています。だから情熱を持って番組を作れば多少は偏るんです」と語りました。
放送法に「政治的に公平」とあることを盾に番組に圧力をかけてくる人たちを念頭に置いた言葉と思われます。
 
これに対して産経新聞がやたらかみついています。
たとえば4月3日の記事です。
 
報道スタンスに疑義 古舘氏らキャスター降板 「偏ってるんです、私」
 
バカバカしいので引用はしませんが、偏っているのはけしからんと言っている記事です。
古舘氏は「人間は少なからず偏っています」と言ったのですから、反論するとすれば、「人間は偏っていない」とか「偏っていない人間もいる」と主張しなければなりませんが、そういうことはなにも言っていません。
この記事を書いているのは三品貴志という記者ですが、自分は偏っていないと思っているのでしょうか。産経新聞か夕刊フジの記者ですから、絶対偏っていると思うのですが。
 
 
4月6日には八木秀次麗澤大学教授の文章が掲載されています。
 
【突破する日本】「偏った」放送を繰り返すテレビ局に電波を独占させる必要はない
 
八木氏は安倍首相のブレーンとされる人物です。首相の私的諮問機関である教育再生実行会議の委員という肩書があります。かつては「新しい歴史教科書をつくる会」の会長を務めていて、今はその流れをくむ日本教育再生機構の理事長です。
つまり思いっきり偏った人物です。
 
その八木氏が古舘氏の「人間は少なからず偏っています」という発言についてどう言っているかというと、やはりなにも言っていません。ただ古舘氏が偏っているのはけしからんと言っているだけです。
偏った人間が他人を偏っていると批判してもなんの意味もありません。そんな文章を読まされる読者もいい迷惑です。
 
古舘氏は一応、自分は偏った人間であるという自己認識を持っています。
八木氏は自己認識についていっさい語りません。すっぽりと抜け落ちているようです。
 
自己認識の欠如は、右翼の共通欠陥でしょうか。
 
高市総務相も、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合は電波停止を命じる可能性があると言いましたが、自分が公平性を判断できる人間であるか否かについてはなにも言っていません。
 

「放送法遵守を求める視聴者の会」というのもテレビの報道の公平性を求めていますが、この会の事務局長の小川榮太郎氏は、「リテラ」によると、『約束の日安倍晋三試論』(幻冬舎)という“安倍礼賛本”を出版して、同書を700万円分、安倍事務所に“爆買い”してもらったということです。そういう人間が報道の公平性を求めるとは、どういう精神構造をしているのでしょうか(安倍首相サイドの指示で動いているだけかもしれませんが)

 
右翼というのは、領土問題でも歴史認識でも、つねに「自国のことは棚に上げて他国を批判する」という態度です。
 
古舘氏の「人間は少なからず偏っています」という言葉は、「自己認識の欠如」という右翼の欠陥をみごとにあぶりだしたようです。