千葉県市川市で開園予定だった保育園が「子どもの声がうるさい」などの理由で開園断念に追い込まれてから、子どもの騒音問題が議論になっています。
 
そもそも子どもの立てる音は騒音なのかということがあります。
 
「自然音」という概念があります。風の音、川のせせらぎ、小鳥のさえずりなどです。
人は自然音を騒音とは感じません。騒音は不快ですが、自然音には逆にやすらぎを感じます。職場のBGMに自然音を使うと作業能率が上がるという話もあります。
暴風雨の音にやすらぎは感じないでしょうが、受け入れるしかないので、不快とは感じません。
 
一方、人の立てる音は「生活音」または「生活騒音」と言い、概して不快なものとされます。
ただ、自分が好感を持っている人の立てる音はそう不快ではなく、自分の嫌いな人の立てる音は不快だということがあります。つまり心理的な要素もあるのです。
 
では、子どもの立てる音はどうかというと、子どもはおとなよりも自然に近い存在です。子どもの遊ぶ声は小鳥のさえずりみたいなものだと思えば、これは自然音になります。
しかし、子ども嫌いの人にとっては、子どもの遊ぶ声は不快でしょう。
 
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」と「梁塵秘抄」にあるように、昔の日本人は子どもの遊ぶ声を聞くと、自分の子ども時代を思い出して、共感していました。
しかし、今の日本人は違います。騒音と感じる人がふえています。
子どものころ、遊んでいると「静かにしなさい」などと叱られた人が多いからではないかと思われます。
 
私はこれまで何回か引っ越ししてきましたが、家の周りで子どもの遊ぶ声を不快に思ったことはありません。それよりも、子どもを叱る母親の声を不快に思ったことは何度かあります。子どもを叱る母親はほとんど毎日のように叱るので、この不快感はかなりのものです。
 
子どもの遊ぶ声を騒音と思うおとなのほうが問題だ――と言いたいところですが、自分が保育園や幼稚園の近所に住んでいたら、きっと騒音と思うだろうなという気がしています。
 
考えてみれば、保育園や幼稚園に子どもを集めるというのが自然な状態ではないのです。
工場と同じで、効率よく子どもを“生産”しようというシステムです(学校も同じです)
子どもが広く薄く地域に存在していた昔とは違います。
 
近代社会は「おとなと子どもの共生」ということを放棄しました。子どもの騒音問題というのは、その帰結です。
 
とはいえ、とりあえずなにか対策をしなければなりません。
テレビを見ていたら、ある保育園では子どもに、「遊ぶときに大きな声を出さないように」と言い聞かせていましたが、これは最悪の対応です。子どもの発達に悪影響があるに決まっています。
 
最近、老人ホームと保育園を併設した施設がつくられ、老人にも喜ばれているということが報道されています。
「おとなと子どもの共生」ということは、おとなにもメリットがあるのです。
 
今の保育園は防音設備などをして、周辺との隔離を強める方向にあるようですが、この方向では少子化がさらに進んでしまいます。
保育園に周辺の住民を招き入れ、子どもとふれ合ってもらうとか、保育園の設置基準を改めて、もっと小さい保育園をいっぱいつくるとか、職場に保育園を併設するとか、そういう方向で解決するしかないと思います。