田野岡大和君が親に山中に置き去りにされ、6日間にわたって行方不明になった事件は、海外でもかなり注目されたようです。「しつけ」の問題が根底にあったからでしょう。
世界中の親がしつけの問題に頭を悩ませていることと思われます。

 
今回のケースは、最初の報道では大和君が「公園で人や車に石を投げつけたため」、両親はしつけのためにちょっと怖い思いをさせようと置き去りにしたということでした。
 
「人や車に石を投げつけた」という状況がよくわかりません。もしその通りなら、すぐにやめさせて、その場で叱るはずです。そうすれば、あとになって車で置き去りにするという必要もなさそうです。
 
この状況がよくわからないせいか、2ちゃんねるにこんな書き込みがありました。
 
子どもが人や車に石を投げて面白がったんだろ。
これを思いっきり叱らないと人が嫌がることを楽しむような立派なサイコパスに育つだろ。
親のしつけは正しいよ。
 
子どもが「面白がった」と話がふくらんでいます。
 
実際の状況は違ったようです。
父親は、大和君が発見されて病院に収容されてからの取材に対しては、こう説明しました。
 
 また、置き去りにするまでの経緯も説明した。大和さんが土手に向かって石を投げていたので「土手の向こうに車が走り人もいるかもしれないから、投げてはいけない」と注意。以前から言いつけを守らない時に「山に連れていくよ」と叱ったことがあり、「二度とやらないようにとの思いと父親の威厳を示すため初めて実際に車から降ろした」と語った。
 
これならなんとなくわかります。
大和君は退院するとき、記者から「今なにがしたい?」と聞かれて「野球です」と答えているぐらいですから、大の野球好きのようです。広い場所で、石があって、誰もいない土手があれば、そこに向かって石を投げるのは楽しいでしょう。投球力も鍛えられます。
また、「土手の向こう」は見えなかったようです。そうすると、そこに人や車が通っているということもよく理解していなかったかもしれません。
 
もちろんおとなの認識は違います。土手の向こうに人や車が通っていることがわかっていますし、もし人や車に石が当たったら、大きなトラブルが起こることもわかります。
子どもは、車には所有者がいて、少しでも傷つくと所有者は怒って、高い修理代を請求されるかもしれないということはほとんど理解していませんし、いくら言い聞かせたところでたいして理解できません。
 
おとなと子どもの認識は違います。おとなは視野が広いので、そのことはわかっていなければなりません。
ところが、中にはわからないおとながいるわけです。
そういうおとなは、子どもがただ石を投げることを楽しんでいるだけなのに、それを「悪」と認識してしまいます。
先の2ちゃんねるの書き込みがその代表的な例です。
 
「美は見る者の目に宿る」という言葉があります。
それにならっていえば、「善悪は見る者の目に宿る」です。
 
子どもに「悪」はないのに、子どもを見るおとなが「悪」を認識してしまう。
このような目こそが「悪」なのです。
 
この父親は最初、「山菜採りをしているときに子どもがはぐれた」と嘘をつき、その後も「子どもが人や車に石を投げつけた」と嘘をつきました。自己保身のために人をだましたのです。
子どもはただ石投げを楽しんでいただけです。

おとなは子どもをしつけようとする前に、子どもを見る自分の目が正しいかどうかを考えなければなりません。