8月15日の全国戦没者追悼式において、天皇陛下は「おことば」で、
「かけがえのない命」
「深い悲しみ」
「深い反省」
とおっしゃいました。
 
一方、安倍首相は「式辞」で、
「戦場に斃(たお)れられた御霊(みたま)」
「皆様の尊い犠牲」
「戦没者の御霊に永久(とわ)の安らぎ」
と言いました。
 
命の尊さをおっしゃっている天皇陛下と、戦死の尊さを言っている安倍首相。
まったく対照的です。
同じ追悼式に出ているのが不思議です。
 
このふたつの考え方の対立は今年に始まったことではないのですが(私は一昨年も同じようなことを書いています)、今年は天皇陛下が生前退位の意向を示され、それに対して安倍首相があからさまな不快感を示すということもありました。
 
生前退位について国民は圧倒的に支持しています。高齢で公務を果たすことのたいへんさを考えれば当然でしょう。摂政を置けばいいという説もありますが、国務大臣の認証式などは摂政でも問題はなくても、国民参加の行事への出席とか外国の賓客との面会とかは、摂政と天皇陛下本人では大違いです。
 
首相や官邸が生前退位に反対する理由は、天皇の神格化に不都合だからということのようです。
自民党改憲草案も天皇の元首化を規定しています。
「年取ったから引退する」というのはいかにも人間的な行為で、確かに神格化には不都合かもしれません。
 
天皇陛下は国民へのビデオメッセージにおいて、「象徴」という言葉を何度も使われましたが、これは象徴天皇であることを強調して神格化・元首化に反対する意図であると解釈されています。
 
天皇の地位に関しても、天皇陛下と安倍首相は激しく対立しているわけです。
 
 
安倍首相が天皇を神聖だと思っているなら、天皇の意思を無視するのは矛盾しています。
しかし、安倍首相が実際に天皇を神聖だと思っているはずはありません。天皇を神聖化しようとしているのは、あくまで天皇の利用価値を高めるためです。
天皇陛下がそんな安倍首相に反発するのは当然です(天皇の意思表明は憲法違反ではありません)
 
安倍首相にとっては戦死者の御霊や英霊も同じでしょう。
ほんとうに英霊を信じているわけではなく、英霊を政治利用しているだけです。
 
稲田防衛相もそうです。稲田防衛相は以前、「靖国参拝は、私にとって絶対に譲れない一点です」と語っていましたが、防衛相に就任した今年は、ジブチ訪問を理由に靖国参拝をやめてしまいました。
もともと靖国神社を信仰していたわけではなく、靖国参拝を自分の政治活動に利用していただけですから、参拝をやめるのも簡単です。
 
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は今年の8月15日、約70人の国会議員が靖国神社に参拝したそうです。
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」とは、まるで冗談みたいな名前です。靖国神社を政治利用しますと言っているようなものだからです。
 
自分のことしか考えていない政治家と、国民のことを考えている天皇陛下と、あまりにも対照的です。