相模原市19人殺害事件の植松聖容疑者は、障害者を殺した自分を正当化する供述を繰り返しているそうです。
植松容疑者はどうしてそういう優生思想を持つようになったのでしょうか。
 
「女性自身」の報道によると、植松容疑者の母親はホラーマンガ家だそうです。読者が投稿してきた恐怖体験をマンガ化してホラー雑誌に載せていたということですから、メジャーなマンガ家ではなさそうですが。
 
猟奇犯罪とホラーマンガやホラービデオの関連というのはマスコミの好む題材です。
ですから、母親がホラーマンガ家ということに当然マスコミは飛びついてくるものと思いましたが、後追い報道はまったくといっていいほどありません。
確かに犯罪とホラーを結びつけるのはむりがあるのですが、もし植松容疑者の本棚にホラーマンガが何冊もあったら、きっとマスコミは飛びついていたはずです。
 
母親がホラーマンガ家だったことはどうでもいいとしても、植松容疑者と母親との関係がどうであったかは重要な問題です。それの報道がないのは納得いきません。
小学校の教師である父親との関係についてもまったく報道がありません。
 
 
親を聖域に置いたままで犯罪動機が解明できるとは思えませんが、植松容疑者本人についてはマスコミはどこまで迫れたでしょうか。
一応、大麻と入れ墨については報道がありますが、それだけのようです(大麻には興奮作用がないので、直接に犯罪とは結びつきにくいとされます)
 
植松容疑者は帝京大学教育学部の卒業で、教師志望で、教職課程を取り、教育実習もしています。植松容疑者の本棚には大学の教科書など教育関係の本がいっぱいあるはずです。
教育学や教育思想と植松容疑者の優生思想との関連を誰も論じないのが不思議です。
 
学校というのは、学業成績というひとつのモノサシで人間が測られるところです。
「世界に一つだけの花」という考えはありません。
 
教育の世界では、「知能」という言葉は差別に結びつきかねないとしてあまり使われません。しかし、「成績」を決める最大の要素は「知能」です。
ですから、教育思想と優生思想は紙一重です。
 
もともと学校は兵隊や産業戦士を育てるところですから、そういう教育思想で子どもを競争に追い立てるのは当然かもしれません。
一方、家庭には別の原理があり、それでバランスが取れているものでした。
 
家庭の原理とは要するに「愛情」ということです。
そして、親の愛情の論理とは、「バカなほどかわいい」というものです。
赤ん坊や幼い子どもは、おとなから見ればバカです。しかし、親はだからこそ愛情をかき立てられます。子どもが成長して賢くなり、分別がついてくると、親の愛情は薄れていきます。
 
植松容疑者の父親は小学校の教師です。家庭に教育思想を持ち込んで、つまり成績だけで子どもを評価して、「バカなほどかわいい」という親の愛情を忘れていたのではないかと想像されます。
植松容疑者は子どものころから、学校でも家庭でも成績だけで評価され、そのためそれが人間を評価する唯一のモノサシだと思い込んだのではないでしょうか。そこから優生思想へは紙一重です。
 
 
今は、家庭でも子どもの成績を重視し、子どもを叱責して勉強に追い立てるのが当たり前になっています。
第2、第3の植松容疑者が出現しても不思議ではありません。