日弁連は10月7日、人権擁護大会で死刑廃止宣言を採択しましたが、反対・棄権もあって、賛成は7割弱でした。
瀬戸内寂聴さんが採択反対派の弁護士のことを「殺したがるばかども」と呼んだことで物議をかもす一幕もありました。
 
弁護士でありながら死刑賛成とはどういう論理でしょうか。
「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」は採択反対の声明を発表し、その中で「凶悪犯罪の被害者遺族の多くは加害者に死をもって償って欲しいと考えており、宣言は被害者の心からの叫びを封じるものだ」と主張しています。
要するに「被害者遺族の感情」を死刑賛成の理由にしているのです。
 
「感情を理由に殺人を肯定する」というのは殺人犯の論理そのものです。
これでは「殺したがるばかども」と呼ばれてもしかたありません。
 
弁護士法の第一章第一条には「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とあります。
つまり「人権」と「正義」がうたわれているのです。
しかし、最近は「正義」の価値が下落しているので、もし死刑賛成の理由に「正義」を持ち出したら、「正義とはなんだ」「テロリストの正義とどこが違う」などと反論されてしまうでしょう。
ですから、もっぱら「正義」の代わりに「被害者(遺族)の感情」が死刑に限らず厳罰化の理由に持ち出されるのです。
 
しかし、人間の感情は正しいとは限りません。
傷ついた人間の感情はなおさらです。
 
犯罪被害者が「犯人を死刑にしたい」という感情に駆られるのは自然なことではありますが、これは要するに「暴力の連鎖」です。
弁護士が「暴力の連鎖」に加担することは許されません。
 
犯罪被害者支援に取り組む弁護士は、被害者の傷ついた心をいやすことを優先し、被害者の思いを社会に発信するのは、被害者の心がいやされてからにするべきです。
 
 
今のように「被害者の感情」が重視されるようになったのは、法務省など司法当局が厳罰化を進める道具に利用してきたからです。
司法当局は死刑制度の維持のために「国民感情」も利用しています。
マスコミも容疑者バッシングのために「被害者の感情」を利用しています。
そのため日本は「感情を理由に殺人を肯定する」という殺人犯の論理がまかり通る国になってしまいました。
 
最近はアメリカも死刑制度を廃止する州がふえています。
そのうち先進国で死刑制度のある国は中国と日本だけということになりそうです。