1022日、自衛隊殉職隊員追悼式が行われ、安倍首相が参列して追悼の辞を述べましたが、御霊(みたま)という言葉を連発して、死者をほめちぎりました。
 
 
28年度自衛隊殉職隊員追悼式に当たり、国の存立を担う崇高な職務に殉ぜられた自衛隊員の御霊に対し、ここに謹んで、追悼の誠を捧げます。
 この度、新たに祀られた御霊は、31柱であります。
 御霊は、強い使命感と責任感を持って、職務の遂行に全身全霊を捧げた、かけがえのない自衛隊員でありました。
(中略)
御霊は、立派に使命を果たし、国のために尽くし、大きな足跡を残されました。私たちは、その勇姿と名前を永遠に心に刻み付けてまいります。その尊い犠牲を無にすることなく、御遺志を受け継ぎ、国民の命と平和な暮らしは断固として守り抜いていく。そして、世界の平和と安定に貢献するため、全力を尽くすことをここに固くお誓いいたします。
(後略)
 
 
この追悼式の死者はほとんどが訓練中に事故死した人たちと思われ、戦死ではありませんが、安倍首相の頭の中はもうすでに“戦死対応モード”になっているようです。
 
この追悼式について産経新聞はこんな記事を書いています。
 
殉職自衛官追悼式、野党議員で参列したのは1人だけ 安倍晋三首相が追悼「国民の命と平和を守り抜いていく」
 
追悼式に参加した国会議員は13人で、そのうち野党議員は1人だけだったのはけしからんというニュアンスの記事です。
 
しかし、殉職隊員追悼式に出るのは政治家の本来の仕事ではありません。殉職者を出さないようにするのが政治家の仕事です。
政治家なら、自衛隊の訓練の安全管理に問題はなかったかとか、PKOで派遣されている自衛隊に危険はないかとかをただしていくべきです。
 
戦死者や殉職者が出てからの英霊や御霊のことは宗教家に任せるべきで、政治家はもっぱら“現世ご利益”を目指せばいいのです。
 
 
南スーダンのPKOがきわめて重要な任務なら、自衛隊員の命が危険にさらされてもやるべきだという考え方はありえます。
しかし、安倍政権はPKOの重要性を説くのではなく、戦闘を衝突と言い換えて、危険がないからPKOを延長するのだと言っています。
これでは自衛隊員を殺すのが目的としか思えません。
安倍首相や産経新聞の論理もそれと符合しています。今から自衛隊員の戦死に備えているのです。

勝利ではなく戦死を目的に戦争をするとは、人類史にかつてなかった倒錯です。 
安倍首相も産経新聞も軍国主義の悪霊にとりつかれているとしか思えません。