アンパンマンは、空腹の者に自分の顔を食べさせるという、正義のヒーローとしてはちょっと変わった存在です。作者のやなせたかし氏は正義についてどう考えていたのでしょうか。その一端が朝日新聞の「折々のことば」に出ていました。
 
 
連載:折々のことば 570 
正義って、普通の人が行うものなんです。偉い人や強い人だけが行うものではないのね。
やなせたかし
 
 目の前に溺れかけている子どもがいたら誰もが迷わず飛び込むだろう。正義とはそういうものだと、「アンパンマン」の作者である漫画家は言う。
(以下は有料ページにつき)
矢崎泰久編「永六輔の伝言」から。(鷲田清一)
 
 
あれ、これは正義ではなくて善のことではありませんか。
孟子は、性善説の根拠として、井戸に落ちそうになっている子どもを見れば誰でも助けようとするということを挙げました。それと同じです。
 
正義と善はまったく違う概念です。
科学的倫理学に立脚すれば、どう違うかは簡単に説明できます。
 
たとえば電車の中で、老人や妊婦に席を譲る人は善人です。
老人や妊婦が立っているのに席を譲らない人は悪人です。
そして、悪人に向かって注意する人は正義の人です。
 
善人に力はいりません(電車の中で立っていられるぐらいの体力は必要ですが)
しかし、悪人に注意すると反撃してくるかもしれないので、正義の人には力が必要です。
言い換えると、悪人と戦うだけの力がないと正義は行えません。
 
勧善懲悪の物語のパターンは決まっています。
善人が悪人に苦しめられています。善人は力がないので、自力ではどうしようもありません。そこに正義のヒーローが現れて、悪人をやっつけることで善人を救います。
 
力関係を示すとこうなります。
 
正義>悪>善
 
つまり正義は最強なのです。
正義のヒーローには誰も逆らえません。
 
そうなると、堕落するのが人間の常です。
いや、そもそも正義のヒーローというのは、最初から最強の悪人が正義を自称しているだけかもしれません。
つまり「正義の力」か「暴力」か容易に区別がつかないのです。
 
今はそういう認識が広がってきて、正義というのはあまり信用されなくなりました。
凶悪犯を死刑にしろという主張も、「正義のため」ではなく「被害者遺族の感情のため」ということが理由にされます。
 
やなせたかし氏も、そういう認識のもとに、正義を説明するのに善を持ち出したのかもしれません。
 
おそらくやなせたかし氏の頭の中にあったアンパンマンの正義のイメージは、難民救済のようなことだったでしょう。
しかし、難民救済活動を正義とは言いません。人道、博愛、慈善と言います(難民を生み出す元凶をやっつけることが正義です。ただ、正義が難民を生み出しているのかもしれません)。
やなせたかし氏も混乱していたと思われます。
 
 
「折々のことば」を執筆しているのは哲学者の鷲田清一氏です。
鷲田氏が正義と善を取り違えた説をそのまま紹介しているのはいただけません。