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パオロ・マッツァリーノ著「みんなの道徳解体新書」(ちくまプリマー新書)を読みました。
 
パオロ・マッツァリーノ氏の著者紹介には「イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認」とふざけたことが書いてあります。イザヤ・ベンダサン式の外国人を装う日本人ではないかと想像されます。
 
マッツァリーノ氏のデビュー作は「反社会学講座」です。これがめっぽうおもしろかったので、力のある名の通った書き手が別名で書いているのだろうと想像しました。そして、脳内サーチをしたところ、ある作家の名が浮かびました。思想傾向と文章が似ていますし、なによりも、その作家には社会学を批判する本を実名(それも筆名ですが)では発表しにくいという個人的な事情がありました。
 
その作家は元の筆名で小説と割とまじめなエッセイを書き、戯作的な社会批判をパオロ・マッツァリーノ名義で書くという戦略でやっているようです。
 
「パオロ・マッツァリーノの正体」で検索したところ、的外れの推測はされていますが、その作家の名前は挙がっていません。まだ誰も気づいていないようです。
 
私がここでその名前を書いてもいいのですが、本人があえて正体を隠しているのですから、その意向を尊重することにします。
もっとも、私も推測しているだけで、証拠があるわけではありません。ただ、正しいという確信があります。賭けてもいいです。
 
 
で、「みんなの道徳解体新書」ですが、北野武著「新しい道徳」が売れたので、それに触発されて書いたのではないかと思ったら、マッツァリーノ氏は自分の公式ブログで、北野氏の本が出る前から企画して下調べもしていたと主張していました。
 
 
『みんなの道徳解体新書』内容紹介
 
 
このページに内容紹介がされているので、ここで書くことがほとんどなくなってしまいました。そこで、道徳の副読本に書かれているさまざまなエピソードから、おもしろいものを紹介しておきましょう。
ちなみに道徳副読本は一般の人は容易に読めないので、ここに紹介するものはけっこう貴重ではあります。
 
 
子ねこのネネ(教育出版3年)
かわいがっていた子猫が死んでしまい、悲しみに沈んでいる女の子。
その子の誕生日がやってきて、誕生会が開かれます。同級生の男の子は、女の子を勇気づけようとプレゼントを渡します。
箱を開けると、なかには死んだ猫にそっくりの猫が……
 
 
なまはげ(光文書院1年)
なまはげは家をまわって、いけないことをした子を探します。
うそをついた子はいねが!
人の物をとった子はいねが!
いじわるをした子はいねが!
みなさんも「なまはげ」になって、してはいけないことを探してみましょう。
 
 
ナンシーのゆめ(教育出版3年)
ナンシーは夢を見ています。
夢の中では、ナンシーの臓器たちが会話をしています。
心臓や脳や手や足が不満を漏らします。おれたちはナンシーのためにいろいろ働いているのに、胃ぶくろのやつはなにもしていないじゃないか。彼らは胃ぶくろを懲らしめてやることにしました。
するとナンシーの体から力が抜けていきます。
心臓や脳は「私たち、まちがっていたのかしら……」
「胃ぶくろさんは、食べものをみんなにわけてくれていたのね……」
そこでナンシーは目を覚まします。「よのなかの生きものは、互いに関わりあっていのちを支えているんだわ。この地球だって……」
 
 
これらのエピソードについてマッツァリーノ氏がツッコミを入れていくわけです。
もとのエピソードがへんてこなので、いやおうなくおもしろくなります。
 
今後、小中学校で道徳が正式の教科に格上げされるので、こうしたツッコミは大いに意味があります。
 
本書には道徳教育の歴史がきちんと調べて紹介されているので、そこにも価値があります。
 
ただ、マッツァリーノ氏は北野氏の「新しい道徳」について、あまり調べずに根拠のないことを書いていると批判的に見ていますが、それは違うでしょう。
マッツァリーノ氏の「みんなの道徳解体新書」は道徳教育批判の書ですが、北野氏の「新しい道徳」は道徳批判の書です。
道徳教育批判よりも道徳批判のほうがより本質的です。
 
ちなみに、道徳教育批判は要するに政府や文部科学省や教育者を批判するだけですが、道徳批判はすべてのおとなと社会全般を批判することになるわけです。
 
道徳批判というのは、ルソーとマルクスがやっているのですが、そのあとを継ぐ者がいません。
本来はダーウィンがしなければならなかったのですが、ダーウィンは間違ってしまいました。そのためいまだに道徳についての言説は混乱しっぱなしです。

 
アメリカのトランプ次期大統領の主張は、ナントカ主義とかナントカ思想と名づけられるものではなく、要するに“むき出しの道徳”です。
道徳批判の視点がますます重要になってきました。その意味からも本書は大いに価値があります。