毎年、成人式の時期になると、成人式とはなにか、成人(おとな)とはなにかということを考えてしまいます。
 
今年も例によって“荒れる成人式”があって、つくば市の成人式会場では複数の新成人が壇上に上がって騒ぎとなり、うち1人が逮捕されました。
毎年こういうことが起こるということは、成人式そのものに問題があると考えなければなりません。
 
成人式は基本的に地方自治体の主催で、出席者は選択の余地がありません。つまらない成人式だと腹が立って、主催者に文句を言いたくなるのは自然な感情です。騒ぎを起こすのはいただけませんが、“主催者責任”が問われて当然です。
 
成人式ではたいてい、市長など偉い人たちが壇上であいさつし、あいさつだけにとどまらずに人生訓を垂れたりします。いったいどういう資格で人に人生訓を垂れるのでしょうか。
会場にいるのは新成人、つまり壇上の人も会場の人も同じおとななのです。
その資格もないのに偉そうに人生訓を垂れられると、誰でも不愉快になります。
 
そこで最近は、有名人を招いて講演会をしたり、若者に人気のミュージシャンのコンサートをしたりということが多いようですが、誰もが満足する講演会やコンサートはありません。講演や音楽を聞きながら、退屈して時間のむだだと思っている人も多いはずです。
 
そこで、成人式を立食パーティの形式にすればいいのではないかということを、去年このブログで書きました。ほとんどの参加者は成人式の内容などどうでもよくて、友だちと会って、それから遊びにいくことが目的なはずです。だったら、立食パーティがいちばんいいはずです。
 
ただ、これは会費がかかりますし、自治体の主催だとやはり運営に不満の出るおそれがあります。
 
そこで今回考えたのは、成人式の廃止ないし民営化です。
 
 
成人式の起源は元服にあるという説がありますが、元服はたいてい数え年15歳ですし、もともと民間行われていたので、役所が主催する必要はありません。
戦前の日本では、満20歳の徴兵検査でもって男は一人前になるという考え方がありました。成人式は戦後始まり、役所が主催するという形式からして、徴兵検査に代わるものとして始まったと考えるべきでしょう。
 
そうすると、だんだんとその意義も失われてきて、とくに18歳選挙権が実現した今、20歳をもって成人とすることの意味もなくなりました。
無意味なことに税金を使うことは許されません。
 
近年、ハローウィンに仮装で街を歩いたり、パーティをしたりということがひじょうに盛んになってきています。
成人式にもし意味があるなら、ハローウィンと同じように民間で勝手にやるでしょう。
その場合は、「若者が晴れ着を着て街を歩いたりパーティをやったりする日」ということになるはずです(その日を境におとなになるなんていうことはないので)
成人式という意味づけが必要なら、役所が「成人式参加証」みたいなものを発行して、各パーティ参加者に配るという方法もあります。
 
成人式で騒ぎが起こるのは、おとなの権威も役所の権威もなくなっているのに、いまだにおとなや役所が偉そうにするからです。