森友学園問題で「忖度(そんたく)」という言葉が注目を集めています。
あまり日常では使わない言葉ですが、意味は「他人の心をおしはかること」と単純です。
 
もとはといえば、安倍首相や昭恵夫人を免責するために、「付き人や財務省の官僚などが勝手に忖度してやった」というふうにこの言葉が使われたのでしょう。
しかし、昭恵夫人の付き人の谷査恵子さんなどを悪者にするのも具合が悪いので、代わりに「忖度」という言葉を悪者にするという流れになったのではないかと思われます。
 
しかし、言葉を悪者にするというのはおかしな話です。
そういう意味では、松井大阪府知事が「忖度にも、悪い忖度といい忖度がある」と言ったのも理解できます。
しかし、人間のすることにはすべてよいことと悪いことがあり、たとえば殺人にも、正義のヒーローが悪人を殺すという「よい殺人」があり、義賊が金持ちから盗んで貧しい人に施すという「よい盗み」もあります。ですから、「悪い忖度といい忖度がある」というのはなにも言っていないのと同じです。
 
「忖度」という言葉が問題になるのは、森友学園に関する議論が迷走しているからです。
なぜ迷走しているかというと、財務省や官邸が資料を隠しているからです。
森友学園への国有地払下げが成約したのは昨年6月で、しかも10年の分割払いですから、記録を捨てるなんていうことがあるはずありません。
現に、籠池理事長が証人喚問の場で谷査恵子さんからのフアックスを持ち出すと、官邸はすかさず同じものを出してきました。
 
官邸や財務省が隠し通すつもりでも、個人で持っている人はいるはずです。
記録が出てきて真実が明らかになれば、「忖度」についての議論もなくなります。
 
 
いわゆる共謀法についてのキーワードは「一般人」です。
 
政府は「一般人は対象外」ということを繰り返し言っています。
自民党も共謀罪を説明した冊子に「一般の方々は処罰対象にはなりません」と書いています。
 
しかし、一般人と非一般人をどうやって区別するのでしょうか。
共謀罪に限らずなにかの法律に一般人と非一般人を区別する基準が書いてあるわけではありません。
当然、「私は一般人です」という証明はできません。
 
ですから、「一般人は対象外」というのはまったく無意味な言葉です。
こういう無意味な言葉を持ち出すということは、それだけで共謀罪がインチキな法律だとわかります。
 
 
森友学園問題で話題になった教育勅語ですが、安倍内閣は3月31日、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定しました。
 
教育勅語については、「いいことも書いてある」と言って肯定する人がけっこういます。
そういう人に対して、「じゃあ悪いことも書いてあると思うんですね。それはどこですか」と一度聞いてみたいものです。
おそらく答えられないでしょう。そういう人はとにかく教育勅語を肯定したいだけで、教育勅語の中身をろくに知らないからです。
 
教育勅語は文語で、しかもむずかしい言葉が使われているので、原文を読んでもよくわかりません。
たいていの人は現代語訳を通して理解しているはずです。
その現代語訳が問題です。
 
一般に流通しているのが「国民道徳協会」訳というもので、これは明治神宮のホームページにも載っています。
それによると、「一旦緩󠄁󠄁アレハ義勇󠄁󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」というところは、「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」となっています。「天皇」や「皇室」という言葉がありませんし、「義勇」が「真心」に変わっています。
 
「国民道徳協会」訳というのは、佐々木盛雄という元自民党議員が70年代ごろにつくったもので、国民に受け入れられやすいように天皇に関する部分や戦争に関する部分をごまかしているのです。
 
私は「教育勅語の欠陥とはなにか」という記事を書くときに、この訳のおかしいことに気づきましたが、あまり権威のない訳を引用するわけにいかないので、結局この訳を採用しました。
 
しかし、その後、ちゃんと権威のある訳が荻上チキ氏の主宰する「シノドス」というサイトに載っていました。この訳は1940年に文部省図書局でつくられたものです。
 
《教育勅語》には何が書かれているのか?
辻田真佐憲×荻上チキ
 
この訳は4月1日の朝日新聞にも載っていました。今後はこの訳が教育勅語の現代語訳の定番になると思われます。
 
これまで「教育勅語にはいいことも書いてある」と主張してきた人は、インチキな「国民道徳協会」訳しか知らなかったはずです。
まともな訳を読むと、教育勅語は天皇制と不可分なものであり、現代に復活させることが不可能なことがわかります。
 
ふたつの訳を掲げておきます。
 
 
【教育勅語の口語文訳】
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 
 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
 
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
 
~国民道徳協会訳文による~
 
 
■文部省図書局による教育勅語の「全文通釈」
 朕(ちん)がおもふに、わが御祖先の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又(また)、わが臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげて来た。これはわが国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝(なんじ)臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互(たがい)に睦(むつ)び合ひ、朋友(ほうゆう)互に信義を以(もっ)て交(まじわ)り、へりくだって気随気儘(きずいきまま)の振舞(ふるまい)をせず、人々に対して慈愛を及(およぼ)すやうにし、学問を修め業務を習って知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守(じゅんしゅ)し、万一危急の大事が起(おこ)ったならば、大儀に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為(ため)につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮(きわま)りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゞに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらはすことになる。
 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫(つら)ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。(出典=文部省「聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告」1940年2月。田中壮一郎監修、教育基本法研究会編著「逐条解説 改正教育基本法」から)