自民党の有村治子議員は参議院内閣委員会で、中国国旗の下に日の丸が配置されたNHKのニュース映像を取り上げ、日の丸を外国旗の下に配置するのはあってはならないことと主張しました。
しかし、その映像は、自衛隊機のスクランブル発進が急増しているという特集の中のもので、上に中国軍機、下に自衛隊機を並べ、その背景に国旗をあしらったものです。スクランブル発進ということを考えれば、自衛隊機と日の丸が下に位置するのは当然です。
 
ところが、産経新聞がこのことを「NHKが日の丸を中国国旗の下に 岸信夫外務副大臣『あってはならない』」との見出しで記事にし、ネット右翼が騒ぎました。しかし、岸外務副大臣は国旗掲揚についての一般的なマナーを述べただけで、ニュース映像について述べたわけではありません。
 
外務副大臣、NHK映像の国旗配置に言及せず 産経が見出しで誤導
 
ニュース映像で日の丸が中国旗の上になっていようが下になっていようが、どうでもいいことですが、右翼にとってはそうではありません。ごまかしをしてまでも問題にしたいようです。
右翼は国旗国歌に異常に執着します。卒業式・入学式での国旗国歌の強制にも熱心です。
 
 
ただ、国旗国歌の強制に反対する人は、よく「内面の自由」ということを反対理由に挙げますが、私はこれがどうも納得いきません。
 
ウィキペディアの「内面の自由」の項目によると、「内面の自由とは、自由権のうち、他者に影響を及ぼさず、行為となって現れないものを指す」とあり、それはさらに「思想・良心の自由」「学問の自由」「信教の自由」に分けられるそうです。
 
江戸時代、幕府は人々に踏み絵を踏ませてキリシタンを識別しました。幕府の役人は「絵を汚すことは気にするな。踏んでもなにも起きないから、遠慮せずに踏め」というように言ったでしょう。つまり反宗教あるいは合理主義の発想です。
しかし、キリシタンにとっては、キリストの絵を踏むことには「けがす」というような精神的な問題が生じます。もし当時そういうものがあればですが、「内面の自由」や「信教の自由」を主張して踏むのを拒否したいところです。
 
つまり踏み絵をめぐっては、踏み絵を踏ませるほうが合理主義で、踏まないために「内面の自由」を主張するほうが宗教です。
 
 
国旗国歌の強制は、外見的には踏み絵を踏ませることに似ていますが、実際は反対で、国旗国歌を強制するほうが宗教で、強制に反対するほうが合理主義です。
 
第一次近衛内閣が1937年から始めた「国民精神総動員」運動において、集会のときは「国旗掲揚、国歌斉唱、宮城遥拝」をすることが奨励されました。現在、右翼は「宮城遥拝」を除外し、「国旗掲揚、国歌斉唱」だけにしているわけですが、実質は同じようなもので、国家神道といえます。
少なくとも国旗国歌を崇拝するのは合理主義ではありません。
公立学校の中に非合理なものを持ち込むことは許されませんし、反対するのは当然です。
 
ところが、国旗国歌の強制に反対する人の中に「内面の自由」を持ち出す人がいるので、混乱します。
 
日の丸は軍国主義や侵略の象徴だからどうしても拒否したいという人などが「内面の自由」を持ち出すのでしょうが、そういう人は日の丸以外のデザインになれば、その国旗を崇めるのでしょうか。
 
国旗国歌の崇拝は宗教的行為ですから、それに反対するのに「内面の自由」を持ち出す必要はなく、合理主義だけで十分です。