安倍首相が新たな改憲論、「9条1項、2項を残しつつ自衛隊が合憲となるように3項を追加する」という意見を発表しましたが、自衛隊合憲論はすでに一般化していますし、2項の戦力不保持はそのままでどうして自衛隊を合憲化できるのか、わけがわかりません。
安倍首相はまた、高等教育無償化と憲法改正を関連させるようなことも言いましたが、教育無償化と改憲は関係のない話です。
解釈改憲をしたために改憲の必要性がなくなって、「改憲のための改憲」に走った格好です。
 
改憲論はほかにもいろいろあって、緊急事態条項、環境権、財政規律、96条の改憲規定の緩和などが議論されています。
しかし、どれも改憲しないと具合が悪いとか、改憲すればよくなるとかいうことはなさそうです。
 
では、なにも変える必要はないかというと、そんなことはなく、少なくともひとつ変えたほうがいいと思うことがあります。
それは、「最高裁判所裁判官の国民審査」についての規定です。
 
安倍首相は「憲法学者などから自衛隊は憲法違反だとの指摘がある。自衛隊が違憲かもしれないなどの議論が生まれる余地をなくすべきだ」と語って、3項加憲論の必要性を説きました。
確かに戦力不保持としながら自衛隊が存在しているのはおかしなことです。
これは最高裁が自衛隊について憲法判断をしなかったことが原因です。
そのためこれまで政治家と国民が自衛隊は違憲か合憲かについて延々と議論してきました。しかし、いくら議論しても結論は出ません。結論を出すのは裁判所しかないからです。
 
そもそも最高裁は違憲判決を数えるほどしか出していません。
違憲立法審査権は「抜かずの宝刀」になっています。
 
なぜそうなるかというと、「最高裁判所裁判官の国民審査」がまったく機能していないからです。
国会議員は選挙の洗礼を受けますが、最高裁判事はぬるま湯にひたっています。
裁判官は行政とも摩擦を起こしたくないので、国民対行政の裁判では行政に不利な判決はめったに出しません。
三権分立は名のみで、司法は完全に立法と行政に従属しています。
 
国民審査についての日本国憲法の規定はこうなっています。
 
 
79条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後10年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
4 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
 
 
国民審査は総選挙と同時に行われるとなっていますが、国民審査と総選挙は別物ですから、別のときに行うべきです。
経費と手間の節約のためにどうしても同時に行いたいということであれば、せめて総選挙でなくて参院選のときに行うべきです。参院選は3年ごとと決まっていますが、総選挙は予測不能の解散によって行われるため、周知期間がきわめて短くなってしまいます。また、総選挙は国民の関心が高いため、国民審査のほうは埋没してしまいます。
 
有権者は総選挙の投票に行ったら、国民審査の投票用紙も同時に渡され、たいていの人はわけもわからず投票します。
その投票の規定は、憲法ではなく法律によりますが、不信任とする裁判官には「×」をつけ、信任する裁判官には無記入とするとなっています。ですから、たいていの人は無記入で投票し、それはみな信任と見なされます。
その結果、信任票が圧倒的多数となります(不信任率は平均7%程度。もっとも高い不信任率だった197212月の下田武三裁判官でも15)
 
つまり、不信任には絶対にならない制度になっているのです。
もし不信任の可能性があるとなると、裁判官も国民の評価を気にせざるをえず、行政に有利な判決ばかりは出していられません。
また、国民審査の洗礼を受けたということが自信になって、立法に対する違憲判決も出しやすくなるはずです。たとえば議員定数の「一票の格差」問題でも有効な判決が出るのではないでしょうか。
 
ともかく、国民審査と総選挙を同時にするという現行憲法の規定は明らかにおかしいもので、ここを改憲するのは大いに意味があるはずです。
このことをほとんど誰も指摘しないのは不思議です。