教育勅語について私は、「子は親に孝行せよ」という徳目はあるが、「親は子を愛せよ」という徳目はなく、親子関係が一方通行になっているのが欠陥だと書いたことがあります。
 
「教育勅語の欠陥とはなにか」
 
しかし、そんなことよりもっと根本的な欠陥があったのでした。
朝日新聞の6月10日の「声」欄に載った投書が指摘していました。
教育勅語の内容についての批判としてはもっとも的確なものではないかと思います。
消えてしまってはもったいないので、このブログに張っておくことにします。
 
教育勅語に関しては、天皇が国民に与えたもので国民主権に反するという批判があります。それから、戦後の国会で失効・排除が決議されているので、それを復活させることへの批判もあります。
また、子どもに丸暗記させて、唱和させるという使い方がされましたが、それによって子どもがその言葉通りの行動をするようになるという根拠がなにもありませんし、子どもの主体性を無視しているという批判もあります。
 
そして、教育勅語の内容についての批判があるわけですが、次の投書が簡潔にして言い尽くしていると思われます。
 
 
(声)「教育勅語」、切り売りは無意味
無職 花輪紅一郎(東京都 67)
 
 「殺すな」「盗むな」「うそをつくな」「淫行するな」の四つは、仏教の五戒と旧約聖書の十戒に共通する徳目であり、万古不易の人の道の基本と言っていい。
 近頃、「教育勅語」には時代を超え、世界に通用する道徳があると持ち上げる人たちがいるが、この四つが含まれていないことをご存じだろうか。逆に、勅語の1丁目1番地である冒頭の「君への忠」をなぜ無視するのだろうか。
 教育勅語は「君への忠」から始まり、「皇運扶翼」まで一貫した徳の体系の中に他の徳目を組み込む構造になっている。「兄弟仲良く」したり「学を修め」たりするのは何のためか、究極の目的を抜きに個々の徳を切り売りしても意味はない。勅語の核心は、すべては君のために命をなげうつ忠誠心を持った人になることだ。そこに「殺すな」や「盗むな」は入り込む余地はなかったのだ。
 もし人命尊重や略奪禁止を掲げていたら、侵略戦争や日本兵の残虐行為はなかっただろう。人の道の基本を抜きに、天皇への忠誠心のみを求めた勅語の過ちは戦後反省したはずだ。私は高校で倫理を教えていた。道徳に「殺すな」「うそをつくな」は欠かせない。