義家弘介文科副大臣が国会答弁で「一般論として告発内容が法令違反に該当しない場合、非公知の行政運営上のプロセスを上司の許可なく外部に流出されることは、国家公務員法違反になる可能性がある」と言って、文科省の内部告発者への処分を示唆して、「部下を売るとはヤンキー先生らしくない」と批判されています。
 
確かに仲間をたいせつにするのが「ヤンキーの論理」です。
もっとも、義家氏においては、官邸や自民党が自分の仲間という認識かもしれません。そうすると、文科省の職員を叩きのめすというのも「ヤンキーの論理」です。
 
こういうところが「ヤンキーの論理」の限界です(なお、義家氏の答弁については、公益通報者保護法の趣旨に反するという指摘がありますし、片山善博元鳥取県知事はテレビで「文書があるとわかっていて『確認できない』と答弁したのが法令違反だ」と指摘していました)
 
「仲間をたいせつにする」というのは原始的な倫理ですが、それだけでは当然限界があります。
そこで必要になるのが「公の論理」です。
義家氏は、ここは「ヤンキーの論理」ではなく、「公の論理」で行動すべきでした。
というか、政治家なのですから、もともとそうするべきです。
 
自民党には昔から「公の論理」に欠けたところがあります。親分子分の関係である派閥の論理で党が運営されてきました。
精神科医の斎藤環氏は数年前に、自民党の政策はヤンキー化して、支持層にもマイルドヤンキーが多いという「自民党ヤンキー論」を唱えたことがあります。
 
安倍首相が森友学園や加計学園でやったことも、「行政の私物化」です。
考えてみれば、安倍首相の最初の選挙のスローガンは「日本を取り戻す」でした。ひじょうに違和感のあるスローガンでしたが、今になれば「日本を私物化する」という意味だったのだとわかります。
 
 
ところで、一般に「公」というのは、せいぜい国家規模のことです。
しかし、今は国家規模では足りません。地球環境問題がそうですし、戦争や安全保障の問題もそうです。
 
これからは「公の論理」も、国家規模から地球や人類規模に変わらなければいけない時代ですが、自民党の場合は逆に「公の論理」が「私の論理」へと退化しています。
 
今の安倍政権を見ていると、国民そっちのけで安倍というお殿様に家臣が奉仕しているようです。