バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義者と反対派が衝突して1人が死亡したのは、南軍のリー将軍の像を撤去することがきっかけでした。
リー将軍の像や南軍旗が白人至上主義者のシンボルとして利用されているので、像の撤去が各地で行われているそうです。
 
しかし、これは方向性が違うと思います。
 
上野公園には西郷隆盛像があります。政府への反逆者の像が建てられていて、人々から敬愛されているのは不思議な光景ですが、社会の寛容さの表れともいえます。
リー将軍の像も同じように受け入れればいいのです。
 
アメリカの映画やドラマで南北戦争は数限りなく取り上げられていますが、正義対悪の戦いとして描かれることはまずありません。むしろ敗者の南軍側に同情的に描かれる傾向があります。そのため物語に深みが出ます。もっぱら南軍側の視点に立った「風と共に去りぬ」などはその典型です。
正義対悪の戦いを描く近ごろのハリウッド映画がみな薄っぺらになるのとは対照的です。
 
リー将軍像を撤去しようとする人たちは、南軍は悪で、北軍やリンカーン大統領は正義だったという歴史観に立っているのでしょうか。
 
リンカーン大統領は偉大な人間のように思われていますが、普通の人種差別主義者でした。生物学者のスティーブン・J・グールドが差別主義に関する本の中で、リンカーン大統領自身の差別主義的な発言を紹介しているので、ここに引用しておきます。
 
「白人と黒人の間には肉体的相違があり、そのため、社会的、政治的平等の名の下に一緒に生活することは永久にできないであろう。彼らはそのようには暮らせないのだから、一緒に留まっている間には、優劣の立場が生じるに違いない。他の人々と同様、私も白人に優位な立場が与えられることを支持する。」(「人間の測りまちがい――差別の科学史」スティーブン・J・グールド著74ページ)
 
北軍対南軍といっても、要するにどちらも白人であって、人種差別主義者同士の戦いでした。そのため北軍が勝利しても、黒人は奴隷から解放されたとはいえ、人権は回復されず、選挙権も付与されませんでした。結局、黒人は下層労働者になるしかなく、奴隷制時代とそれほど変わらなかったのです。
 
奴隷解放戦争のあるべき姿は、当然ながら白人対白人ではなく、黒人対白人でなければなりません。
具体的に言うと、南部の黒人奴隷が一斉に蜂起して白人農場主たちに戦いを挑み、北部諸州の助けを得ながら戦いに勝利し、みずから黒人人権宣言を出して、白人と同等の権利を獲得する――。
もしこのような戦いがあれば、アメリカは黒人差別のない国になっていたでしょう。
 
現実のアメリカはいまだに差別大国です。
 
今、トランプ支持派と反トランプ派が差別問題を巡って対立していますが、報道を見ていると、反トランプ派で声を上げている人の多くは白人です。白人対白人というのは南北戦争と同じパターンです。
トランプ大統領の人種差別政策にもっとも反対なのは、黒人、ヒスパニック、アジア系などの人たちのはずです。そういう人たちが立ち上がって運動の前面に立ち、反差別主義の白人たちが加勢する形になって、戦いに勝利すれば、アメリカはすべての人種が平等な、差別のない偉大な国になります。
 
有色人種が立ち上がって前面に立つと、分断が深まったなどと批判されるかもしれませんが、気にすることはありません。アメリカにおいては自分たちも主人公なのです。
有色人種がハリウッド映画のヒーローのように果敢に戦って勝利すれば、白人至上主義者たちも考えを改めるでしょう(ついでにハリウッド映画も変わるでしょう)。