南軍のリー将軍像が白人至上主義者のシンボルになっているとして撤去されていることに対してトランプ大統領は「美しい像や記念碑を撤去することで、我々の偉大な国の歴史と文化が引き裂かれるのを見るのを悲しく思う」「リーらの次は誰だ? ワシントン、ジェファーソンか。ばかげている」とツイートしました。
 
実際は、リー将軍の次はコロンブスでした。
 
白人至上主義への抗議、各地のコロンブス像も矛先に
 
コロンブスはアメリカ大陸を「発見」しただけではなく、アメリカ大陸で植民地化を進め、先住民虐殺をしましたから、その像を撤去する理屈はわかります。それにコロンブスはスペインのために植民地化をしたので、今のアメリカからは批判しやすいということもあるでしょう。
 
では、ワシントン、ジェファーソンらは建国の偉人として評価され続けていくかというと、そうはいかないでしょう。アメリカ合衆国は先住民虐殺と黒人奴隷制の上に築かれた国ですから、建国した人間の責任がいずれ問われることになると思います。
 
昔の西部劇では、インディアンは奇声を上げて襲ってくるだけの野蛮人として描かれていましたが、少しずつ変わってきて、白人がむしろインディアンを虐殺したということになり、最終的には西部劇というジャンル自体がほとんどなくなりました。
建国の偉人の扱いが逆転しても不思議ではありません。
 
とはいえ、アメリカ建国には評価するべき面もあります。
 
英国王の支配を打ち破り共和制を打ち立てたというのは人類史上画期的な出来事です。
この影響でフランス革命も起きたのです。
人権思想を確立するとともに、人民の国として大衆的な文化も発達しました。音楽はその典型で、ヨーロッパがクラシック音楽に支配されているときに、アメリカではカントリー、ジャズ、ロックという音楽が発達し、世界に影響を与えました。
アメリカが「自由と民主主義」を標榜するにはそれなりの理由があります。
 
とはいえ、一方では先住民を虐殺し、黒人奴隷を働かせていたのも事実です(先住民や黒人に人権はありませんでした。人権思想のこの欺瞞がいまだに尾を引いて差別問題がこじれています)
つまりアメリカには二面性があるのです。
白人は自由と人権を獲得したという一面と、先住民と黒人から自由と人権を奪ったという一面です。
そして、昔は前者ばかりと思われていましたが、だんだんと後者に光が当てられるという流れにあります。
 
たいていの物事には二面性があるので、アメリカに二面性があるのも普通のことです。
ところが、日本ではことアメリカに関しては、白か黒か、天使か悪魔かという二分法になりがちです。
アメリカをどう評価するかでその人の政治的立場が判定されます。
有力政治家は「日米同盟は外交の基軸」という呪文を唱えなければなりません。
 
というわけで、今の日本はアメリカのよい面だけ見て、悪い面を見ないのが普通になっています。
 
しかし、ペリー提督が日本に来たのは西部開拓の延長上であり、日本は黒いアメリカに直面したのです。
今、沖縄の基地問題が解決しないのも、黒いアメリカのせいです。
 
トランプ大統領がツイッターでワシントン、ジェファーソンの名前を挙げたのをきっかけに、日本人もアメリカの歴史を振り返り、日米関係を考え直すべきでしょう。