9月17日で拉致問題が明るみに出てから15周年でした。
そのときに5人が帰国しただけで、それ以降は拉致問題についてはなんの進展もありません。
 
当時、金正日委員長は拉致を認め、謝罪しましたが、まだ隠しているだろうということで、日本国内で北朝鮮に対する非難が高まりました。
非難したくなるのは当然ですが、残った拉致被害者を取り戻したいなら、それなりの戦略を考えるべきでした。
 
拉致被害者は北朝鮮国内にいるわけですから、日本政府が捜査することはできません。北朝鮮政府にやってもらうしかないわけです。日本がいくら「拉致被害者すべてを明らかにしろ」と要求しても、北朝鮮がその気にならなければだめです。現に北朝鮮政府に調査を約束させたことはありましたが、北朝鮮政府にその気がないので、なんの結果も出ませんでした。
 
どうすれば北朝鮮政府をその気にさせることができるか。ここが考えどころでした。
 
 
ジョージ・ワシントンが子どものころ、父親がたいせつにしていた桜の木を切ってしまいましたが、ワシントンがそのことを正直に父親に話したところ、父親はワシントンの正直さをほめたたえたという話があります(この話は事実ではないようです)
この話は、正直のたいせつさを教える話とされていますが、実際は叱らないことのたいせつさを教える話です。もし父親がこのときにワシントンを叱っていたら、ワシントンはそれから嘘をつくようになったでしょう。
 
また、「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンは教会から銀の食器を盗み、警察につかまりますが、教会の司教が「それは私が彼に与えたものだ」と言ってかばったので、ジャン・バルジャンは改心します。
 
金正日氏を改心させ、正直にさせたいなら、拉致を認めたことをほめて、許すことです。
日本国内では北朝鮮を非難する声が高まっていても、小泉首相と安倍晋三内閣官房副長官が個人的に金正日氏への感謝と信頼を表明して、国交正常化交渉を進めていけば、いずれ金正日氏がみずから残りの拉致被害者のことを話したかもしれません。
少なくともそれしか方法はなかったといえます。
 
それに、9月17日に拉致問題が明るみに出たときは、小泉首相と金正日委員長が平壌宣言に署名したときでもあります。
平壌宣言は、日朝国交正常化を目指すとともに、「朝鮮半島の核問題の包括的な解決」をうたい、北朝鮮側は「ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長する意向」を表明するものでした。
事態が平壌宣言の方向に進んでいれば、北朝鮮の姿は今とまったく違ったものになっていたはずです。
小泉氏と安倍首相の対応の誤りがつくづく悔やまれます。
 
現在、日本は北朝鮮への制裁と圧力を強めるように主張していますが、これもまったく同じ誤りをしています。
いくら制裁と圧力を強めても、北朝鮮が核を放棄するはずがありません。
 
制裁と圧力で北朝鮮の体制崩壊を目指すというなら、それはそれでひとつの戦略です(そのあとがたいへんですが)
しかし、日本やアメリカにそういう戦略があるわけではなく、ただ制裁のための制裁をしているだけです。
 
 
こうした誤りは、世の中にまともな倫理学が存在しないことからきています。
犯罪が起こったときも、世の人々は犯罪者を非難することで反省させようとしますが、非難されて反省する人はいません。寛容な心に触れたときに人は反省するのです。
ただ、犯罪者が反省しようがしまいが、世の中にとってはどうでもいいことです。どうせ刑務所に放り込むか死刑にするからです。
犯罪者を非難することは、世の人々にとって娯楽のようなものです。
 
しかし、北朝鮮という国は刑務所に放り込むわけにも死刑にするわけにもいきません。しかも、今や核兵器も持っているのです。
いつまでも「北朝鮮制裁」という娯楽をしている場合ではありません。
北朝鮮を反省させ、まともな国にするということに取り組むときです。