今年のノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授は行動経済学の先駆けとされる人です。
行動経済学とは、従来の経済学が合理的経済人を前提にしていたのとは違い、人間の不合理な行動を研究し、そこに一定の法則性を見出そうとするもので、最近はたくさん本も出て、ブームになっています。
 
私は前から、どうして行動政治学がないのだろうと思っていました。政治の世界における人間の行動は不合理きわまります。これこそ研究してほしいものです。
 
しかし、考えてみると、経済の世界はたいていのことが数字によって表現されますが、政治の世界はそういう客観的な基準がありません。太平洋戦争を始めたことについても、日本人の誇りを守るために正しい行動だったと主張する人もいるぐらいです。
 
そもそも政治学というものがまともな学問ではありません。
政治学者は権力者に都合のいいことを言ったほうが出世できるからです。
 
日本の国際政治学は圧倒的にアメリカの影響下にあるので、日本の国際政治学者はアメリカに都合のいいことを言ったほうが出世できます。このことは白井聡氏が書いておられたので、このブログで紹介したことがあります。
 
国際政治学という売国学問
 
これは、最近の国際政治の動きを見ていてもよくわかります。
 
一般社会では利己主義というのはよくないことだとされ、利己的なふるまいをする人間は当然周りから批判されます。
ところが、トランプ大統領は「アメリカファースト」と言っているのに、そのことはほとんど批判されません。逆に「○○ファースト」と言って、真似する人が出てくるぐらいです。
 
それから、アメリカとイスラエルがユネスコ脱退を表明しました。ユネスコがパレスチナ自治政府の加盟を認めるなど「反イスラエル的」だというのが主な理由です。
もし北朝鮮が国連かどこかの国際機関を脱退したら、暴挙だ非道だと非難ごうごうになったでしょうが、アメリカもイスラエルもまったく非難されません。
 
また、今回の脱退は、アメリカとイスラエルの「反イスラム」の姿勢の表れです。この姿勢がイスラム過激派のテロの原因になっているのですが、そのこともまったく指摘されません。
 
アメリカが大国なので、誰も批判しないのです。
経済学はノーベル賞の対象になっても、政治学がノーベル賞の対象にならないのは当然です。
 
 
ついでに言うと、日本の法学もまともな学問ではありません。
 
自衛隊は違憲だとか合憲だとか、安保法制は違憲だとか合憲だとか、政治家や国民が議論していますが、こうしたことは本来裁判所が判断するものです。ところが、裁判所は自衛隊が合憲か違憲かすら判断することから逃げているので、政治家や国民が延々と終わりのない議論をしているのです。
法学者は、これは裁判所が判断するべきことで、裁判所が憲法判断から逃げているのはけしからんと言うべきです。
 
また、今度の総選挙でも最高裁判所裁判官国民審査が行われますが、不信任の裁判官に「×」をつけ、信任の裁判官には無記入にするという制度は、棄権が全部信任と見なされてしまうというインチキな制度です。
しかし、法学者はほとんどそのことを指摘しません。
法学者が裁判所や司法制度を批判すると出世できないからでしょう。
 
憲法問題にせよ安全保障問題にせよ、国民や政治家がごく初歩的な議論をして時間をむだにしているのは、すべて政治学者や法学者が学者としてまともな仕事をしていないからです。
政治学者や法学者は経済学者に学ぶべきだ――と主張したいところですが、彼らはプライドだけは高いので、そんな主張はまったく無視されるのでしょう。