安倍首相が「人づくり革命」や「生産性革命」という言葉を使っていることに対して、立憲民主党の枝野幸男代表は「自民党はいつのまにか革命政党になった。われわれこそが正統な保守政党である」と言いました。
安倍首相はそれに反論したかったのか、参院本会議でこんなことを言いました。
 
 
首相が「保守」の持論展開、「日本に自信持つ姿勢」
安倍晋三首相は21日、参院本会議の代表質問で「保守」の定義について持論を展開した。保守とは「イデオロギーではなく、日本に自信を持ち歴史を見つめ直そうとする姿勢だ」と指摘。「保守と改革は矛盾しない。守るために変えるべきこともある」とも強調した。民進党の大塚耕平代表の質問に答えた。
大塚氏は、少数会派に耳を傾ける姿勢を「国会において守るべき『保守』思想だ」と述べ、国会で野党の質問時間を減らし与党の時間を増やすべきだとする与党の主張を批判した。首相は「国会の前例や慣習の積み上げは大切だ。国会は国民の負託に応える場であり、不断の改革も進められてきた」と応じた。
 
 
安倍首相の思想の浅さがわかります。

「日本に自信を持ち」というのは、愛国心やナショナリズムのことを言っているのでしょうが、それは近代になって生まれたものですから、むしろ保守と対立するものです。
「歴史を見つめ直そうとする姿勢」というのも不可解です。「歴史から学ぶ」というのが保守です。「歴史を見つめ直す」というのは、なにかのイデオロギーと思われます。
 
そもそも安倍首相は日本に自信など持っていません。アメリカべったりの外交姿勢を見れば明らかです。トランプ大統領の「アメリカファースト」に対して、「ジャパンファースト」と言えるぐらいでないとだめです。
 
日本に自信がなく、アメリカべったりというのは、安倍首相だけではなく、日本の右翼、自称保守に共通した傾向です。
なぜそうなるかというと、彼らの考える「日本」が期間限定のものだからです。
 
日本の右翼は戦後日本を否定しています。戦前に回帰したいというのが基本姿勢で、憲法九条改正はその象徴です。
 
一方、彼らは明治維新以前の日本も否定しています。
否定とまではいかないかもしれませんが、まったく興味がありません。
最近、葛飾北斎が注目され、欧米の画家が北斎の影響を受けていたということが指摘されています。欧米での日本趣味をジャポニズムと言いますが、右翼ならジャポニズムを自慢してもいいはずです。しかし、ジャポニズムの対象は明治以前の文化ですから、右翼には興味がありません。歌舞伎も能も「源氏物語」も右翼にとってはどうでもいいのです。
右翼が日本の伝統とするのは、(近代)天皇制、靖国神社、教育勅語、君が代日の丸といったもので、すべて明治維新以降のものです。
 
自民党の竹下亘総務会長は1123日、宮中晩餐会に関して、「国賓のパートナーが同性だった場合、私は晩餐会への出席には反対だ。日本国の伝統には合わないと思う」と述べました。しかし、日本の伝統は同性愛に寛容です。同性愛にきびしいのは明治以降に入ってきたキリスト教的な文化です。
また、麻生太郎財務相は「とてつもない日本」という自著の中で、インドの地下鉄建設に際して日本の技術者がとても時間に正確で、インドの人たちに感銘を与えたというエピソードを紹介し、納期を守る勤勉さを「日本人の美徳」としています。しかし、日本人が時間を正確に守るようになったのは明治以降のことです。
どちらも「欧米の文化」を「日本の伝統」と勘違いしています。これは右翼全般に見られることです。
 
安倍首相が「日本に自信を持ち」というときの日本とは、1868年の明治維新から1945年の敗戦までの77年間のことでしかありません。日本の歴史においては、長い竹竿のひとつの節と節の間みたいなものです。
しかもそれは、欧米からひたすら近代文化を取り入れた時代です。インドや中国や韓国に対しては、日本のほうが早く近代化したので、それは自慢になるかもしれませんが、欧米に対しては、あとから真似しているだけなので、コンプレックスにしかなりません。
 
 
枝野代表は「われわれこそが正統な保守政党である」と言いましたが、安倍首相ら右翼が戦前の日本をよりどころにしているのに対して、戦後日本をよりどころにしているという意味であれば、安倍首相よりも視野が狭いことになってしまいます。
近代以前の歴史を踏まえるのが真の保守です。