沖縄で小学校のグラウンドに米軍のヘリコプターの窓枠が落下し、児童一人がケガをするという事故があり、また基地問題がクローズアップされていますが、基地問題に関しては、沖縄県民と本土の人間とで態度が大きく違います。
沖縄県民の基地負担が大きいというのが大きな理由ですが、それだけではありません。
沖縄県民は米軍に対して怒りの声を上げますが、本土の人間は米軍やアメリカに怒るということがまずありません。
 
たとえば本土にも横田米軍基地の騒音問題がありますが、これについては周辺住民が抗議しているだけで、それ以外の人間は無関心です。また、首都圏上空に広大な横田空域があって旅客機などの飛行が制限されているという問題もありますが、本土の人間は黙って受け入れています。
 
単純化して言えば、沖縄県民は反米的ですが、本土の人間は反米的ではありません。
どうしてこのような違いがあるかというと、基地負担だけではなく、戦争体験の違いからきているのではないかと思われます。

 
沖縄は全島が戦場となり、県民の4人に1人が犠牲になるという悲惨な経験をしています。
しかし、本土は空襲があって、原爆も落とされましたが、それだけです。
世界と比較しても、第二次大戦の当事国であるソ連、ドイツ、イタリア、中国は国土の大部分が戦場になるという経験をしています。
よく日本人は「戦争は悲惨だ」と言いますが、戦地に行った兵隊と直接空襲の被害にあった人以外は、食糧不足でお腹が空いたとか、軍事教練がたいへんだったとか、その程度です。
米軍の占領政策も、日本の行政組織をそのまま利用したので、日本人は他国の軍隊に占領されたという意識が希薄でした。
 
 
戦後日本の対米従属がどうして生じたかについて、「永続敗戦論」の著者である白井聡氏は、「敗戦の否認」という言葉を使って説明していますが、「敗戦の否認」という言葉については説明不足です。私は勝手に、敗戦の経験があまりに悲惨だったので、そのトラウマを記憶から消し去ろうとする心理かと思っていました。
しかし、逆だったのかもしれません。
 
当時の日本人は、本土決戦をする覚悟を固めていましたが、唐突に終戦になってしまいました。
当時の軍部の多くは本土決戦をやる気でしたが、昭和天皇が終戦を決意したのです。昭和天皇が国民のためを思って決意したのだということになっていますが、ソ連が参戦して、ソ連に日本が占領されると天皇は処刑されるに違いないので、昭和天皇があわててポツダム宣言受諾を決めたのだという説のほうがありそうです。
 
日本人は占領されると、占領軍に略奪や虐殺やレイプをされるに違いないと思っていましたが、そういうこともありませんでした。
 
つまり日本人は、あまり敗戦の実感がなかったのです。
そのため、戦争にうんざりしていた人は敗戦を喜んで受け入れましたが、戦争に思い入れがあった人は容易に「敗戦の否認」をすることができました。戦後憲法の象徴的な部分である九条を改正し、日本軍やA級戦犯の名誉回復さえすれば、戦前と同じ状態に戻れます。
 
いや、占領軍である米軍が居座っているのは戦前と決定的に違います。
しかし、これについては、占領軍が居座っているのではなく、日本が望んで米軍にいてもらっているのだと思えばいいわけです。
 
したがって、憲法九条改正、日本軍・A級戦犯の名誉回復、対米従属というのは、日本の右翼の三点セットになっています。これによって「敗戦の否認」を成就させるのが右翼の本分です。
 
しかし、沖縄県民は沖縄決戦で敗戦を経験していますし、直接占領された経験もしていますから、「敗戦の否認」などできるわけがありません。
この点で右翼と沖縄県民は相容れません。
そのため右翼は沖縄県民を攻撃するのです。
 
沖縄決戦をした沖縄県民と、本土決戦を回避した本土の人間は、遠く隔たったところにいるのかもしれません。