フロリダ州の高校で17人が殺される銃乱射事件が起き、銃規制を求める声が高まっているのに対してトランプ大統領は、「銃の扱いに精通した教師がいれば襲撃を早く鎮圧できただろう」と言い、教師に銃を所持させる案を示しました。
 
私はこれを聞いて、西部劇みたいに腰に銃をぶら下げた教師が校内を歩く姿を思い浮かべました。
この考え方を敷衍すると、そのうち一般の人も拳銃を携行するようになり、西部開拓時代に逆戻りします。日本のビジネスマンがアメリカに商談に行くと、向こうのビジネスマンは机の下からいつ拳銃を取り出すかわかりません。
 
そんなことにはなりませんが、アメリカの銃規制反対派は西部開拓時代を基準にものを考えている気がします。
 
もっとも、男が腰に武器をつけているというのは、武士や騎士もそうでしたから、アメリカが特別なわけではありません(刀と拳銃では危険性が段違いですが)
しかし、近代国家のもとで警察が十分に機能するようになると、個人が身を守るために武器を携行する必要はなくなり、逆に個人の武器所持は治安悪化の原因になりますから、どこの国でも銃所持は、狩猟やスポーツなどの目的以外には禁止されるはずです。
 
なぜアメリカはそうならなかったのかと考えると、銃所持には護身用以外の理由があることに思い至りました。
 
武士や騎士がつねに刀やサーベルを携行していたのは、護身用というよりも、支配階級であることを示すシンボルとしてでした。
江戸時代は、武士階級と庶民階級は名字帯刀によって区別されました。ヨーロッパでもサーベルを携行しているのは騎士だけだったでしょう。
 
日本軍では、将校は軍刀を所持することになっていましたが、これも実用のためというより身分を示すシンボルでした。
 
アメリカの歴史では、そういう身分を示すシンボルとしての刀やサーベルはなかったので、代わりに拳銃がその役割を担ったのでしょう。
 
白人成人男性は、先住民、黒人、女子どもに対して支配階級でした。拳銃を携行していることが支配階級のシンボルだったのです。

トランプ大統領が教師に銃を所持させる案を示したのも、学校において教師は生徒に対する支配階級だからでしょう。

武士階級や騎士階級は近代国家の形成とともに解体されましたが、白人成人男性は自分たちがつくった国なので、今でも支配階級だと思っているのです。
 
 
今、銃規制反対派の人たちはほとんど白人成人男性のはずです。
この人たちは人種差別主義者かつ性差別主義者でもあります。
つまり銃所持、人種差別、性差別は三位一体です。
 
今は誰でも銃所持ができるので、白人成人男性もそれによって危険にさらされます。銃規制に反対するのは非合理的ですが、それでも支配階級のシンボルは手放したくないのでしょう。
 
 
アメリカの軍事戦略も同じ論理です。
国連軍を創設して、それに世界の治安維持を任せれば、アメリカは軍事費を大幅に削減できます。アメリカが主導すればそう困難なことではないと思われますが、アメリカがそれをしようとしないのは、軍事力で世界を支配する国家でありたいからでしょう。

アメリカは、白人成人男性という支配階級を解体して真の近代国家になる必要があります。