セクハラ疑惑の福田淳一財務次官の辞任が4月24日の閣議で了承されましたが、処分が後回しになったことについて麻生財務相は、「はめられて訴えられているんじゃないかとか、いろいろなご意見が世の中いっぱいある」と述べました。
 
セクハラ被害にあった女性記者の訴えは週刊新潮の記事で明白ですし、テレ朝も同調したことで客観性もあります。
一方、福田前次官の主張はあいまいです。最初は公開された音源の声が自分のものでないようなことを言っていましたし、のちには自分の声と認めたようですが(それもあいまいです)、「全体を見てほしい。全体を見ればセクハラに該当しないことがわかるはず」と言うだけです。その「全体」を自分で説明することはしないわけです。
 
両者の主張を比べれば、どちらが真実を言っているかは明白です。
麻生財務相がそれでも福田氏をかばうのは、身内意識もあるでしょうが、やはり性差別意識があるからです。「女が男を告発してやりこめる」ということが許せないのです。
 
 
テレ朝の対応にもいろいろ批判があります。
女性記者がセクハラ被害を訴えているのに配置転換などの対応をしなかったのは、テレ朝もまたセクハラ問題を軽視していたと批判されて当然です。
ただ、録音データなどを新潮社に渡さず、テレ朝が自社で報道するべきだったという批判は当たりません。
 
テレ朝が自社の社員がセクハラ被害にあったという報道をすれば、その報道の客観性が疑われます。「うちの社員はこう言っている」ということを根拠に福田次官や財務省を攻撃するわけですから、「攻撃するために社員に言わせているのだろう」という反応になって当然です。
 
週刊新潮が「うちの取材記者がセクハラ被害にあった」という記事を書いても同じです。報道の客観性が担保されません。
 
それに、これはもともと女性記者対官僚という個人と個人の問題ですから、テレビ局や大手新聞社は扱いにくいでしょう。週刊誌向きのネタです。
週刊誌が火をつけて、燃え上がったところで大手メディアが対応するというのは、妥当な展開だったのではないでしょうか。
 
 
なお、この問題がこれほど大ごとになったのは、福田氏の初動が間違っていたからです。
福田氏は週刊新潮の記事が出たらすぐに女性記者に対して「君がそんなに傷ついていたとは知らなかった。許してくれ」と泣いて謝罪し、世間に対してもそう述べればよかったのです。
しかし、性差別主義者というのは「女に謝ると死ぬ病」にかかっている人なので、謝れませんでした。
そして、麻生財務相も矢野康治官房長も同じ病にかかっていたので、ここまで大ごとになりました。
 
なお、慰安婦問題が大ごとになっているのも同じ構図です。
「女に謝ると死ぬ病」にかかっている人は慰安婦問題でも謝れません。
 
性差別主義者が国家の中枢にいると国益を損ないます。