このところ、セクハラや大相撲の女人禁制など、性差別からくる問題がクローズアップされていますが、議論は迷走しがちです。
その根本原因は、性差別がどうして生じたのかについて明確な認識がないからです。
なにごとも発生の過程がわかると、ことの本質もわかるものです。
 
男と女では、体の強さが違います。
体の強さといってもいろいろあって、たとえば持久力では男女差はそれほどありません。
マラソンの世界最高記録は、男子は2時間2分57秒、女子は2時間1525秒です。
男の走る速さを100とすれば、女の走る速さは90というところです。
 
重量挙げの世界記録は、男子の69キロ級のスナッチは166キロ、女子の69キロ級のスナッチは128キロです。
男子の持ち上げる力を100とすれば、女子の持ち上げる力は77です。
こちらについてはかなり男女差があります。
 
平均寿命は、女性のほうが男性よりも長いです。
“長生き力”というものを想定すれば、女性のほうが強いことになります。
 
ですから、男と女の体の強さの違いは一概には言えませんが、もし男と女が喧嘩をすれば、男が圧倒的に強いでしょう。重量挙げのような筋肉の力が直接に働くからです(あと、骨の強さなども関係するような気がします)
それに、攻撃性や闘争心も男のほうがはるかに強いので(男性ホルモンのテストステロンが影響しています)、それも喧嘩には有利です。
 
世の中にはか弱い男もいて、たくましい女もいますが、男と女が喧嘩して女が勝つということはきわめてまれだと思われます。
 
こうした違いは、女は妊娠、出産、授乳などに体の資源を使わねばならず、一方男は、狩りにおいて獲物と格闘して仕留めなければならないという生物学的条件からきています。
ですから、こうしたことは人間だけではなく、ある程度高等な動物では雄のほうが雌よりも一回り体が大きくてたくましいのが普通です。
 
しかし、動物においては、雄のほうが力が強いからといって雌をレイプするようなことはありません。
男が女をレイプするのは人間特有の“文化”です。
 
もともとどんな動物も、公平よりはほんの少し利己的に振る舞う傾向があり、そのためつねに生存闘争をしています。
しかし、動物は同じ本能レベルの生存闘争を繰り返しているだけですが、人間の場合は、「ほんの少し利己的に振る舞う傾向」が文化に蓄積され、「大いに利己的に振る舞う傾向」を有するようになりました。
そのため戦争したり、帝国を築いたり、奴隷制をつくったりしてきたわけです。

男と女の関係においても、生殖のためにお互いを必要としつつも、いっしょに生活していると利己的な傾向がぶつかり、闘争が起きます。闘争においては体の強い男が有利ですが、男にも利他的な本能があるので、男がほんの少し利己的に振る舞う程度でした。
しかし、男がほんの少し利己的に振る舞う傾向が文化の中に蓄積され、男の中のやさしさや思いやりという利他的な本能は抑圧され、男は女に対してきわめて利己的に振る舞うようになりました。こうした文化を性差別と呼ぶわけです。
 
これが生物学的性差=セックスと社会的文化的性差=ジェンダーの関係です。
 
ところが、フェミニストなどは男女平等を主張するあまり、男女の生物学的性差を認めようとしない傾向があり、そうするとどこから性差別が生じたかを説明できません。
そのため性差別や男女平等などの議論は混迷しがちです。
 
「男は女より生物学的に喧嘩が強いためにわがままに振る舞い、性差別が生まれた」と考えると、レイプやセクハラが横行する世の中がうまく説明できますし、それがバカバカしいものであることもわかります。