たいていの親は口ぐせのように子どもに「勉強しなさい」と言っているはずです。
では、子どもから「なぜ勉強しなければいけないの」と聞かれたときにどう答えているでしょうか。
次の記事に、いろいろな答えが書いてありました。
 
「なぜ勉強が必要?」子供への模範回答3
回答内容でバレる、賢い親ダメな親
 
この筆者自身は、次のように答えるそうです。
 
「“大人”をきちんと楽しめる大人になるため」
 
これは教養主義をこの人なりの言葉にしたものでしょう。
教養主義というのは、要するに人間は教養を身につけるべきだという考え方ですが、なぜ教養を身につけるべきかについて納得のいく説明がありません。そこで筆者なりの説明をしたのでしょう。
しかし、この答えで子どもが納得するとは思えません。
 
ある神父さんは次のように言ったそうです。
 
「勉強は自分の窓を開けるということです。学ぶことで、今まで見ていたものとはまた違う何かを見ることになります。視界を広げるために学ぶのです」
 
これも教養主義の答えです。
 
教養主義の反対語は実利主義です。
漫画家の西原理恵子さんは次のように書いているそうです。
 
「大事なのは自分の幸せを人任せにしないこと。そのためには、ちゃんと自分で稼げるようになること。食いっぱぐれないためには最低限の学歴は確保する」
 
これはわかりやすく、説得力があるでしょう。
誰でもお金はほしいし、異性にもてたいし、世の中に認められたいので、そのために勉強するというわけです。
 
しかし、どうしても勉強が嫌いな子どもは、「学歴がなくても生きていける」などと主張するかもしれません。そういう子には結局教養主義で説得しなければならないことになります。
 
 
ところで、「なぜ勉強しなければならないか」を子どもに説明しなければならなくなったのは、明治時代に義務教育が始まってからです。
 
江戸時代の寺子屋は、実利のための教育でした。読み書きソロバンは、その子どもが生きていくために必要なことですから、説明するのは簡単でした。
しかし、明治以降の学校教育は富国強兵のためですから、子どもが納得いく説明はできません。教養主義の説明も実利主義の説明も、所詮はおためごかしです。
最後はむりやり勉強させるわけです。
 
戦後の教育は、富国強兵のためではありませんが、義務教育という点では同じです。
親は教養主義の説明をしたり実利主義の説明をしたりしますが、どうせ最後はむりやり勉強させるわけです(高校以降は義務教育ではありませんが、親は惰性で同じように対処しています)
 
「義務」という規定がよくありません。
憲法改正をして、義務教育を廃止して、代わりに学習権を設定すれば、親はむりやり子どもに勉強させる必要はなくなります。
子どもに勉強させたければ、ちゃんと子どもが納得いく説明をしなければなりません。
教師も同じです。学習塾や予備校の教師は子どもを引きつける教え方を知っています。義務教育を廃止したほうが学校のレベルは上がります。
 
単純な話、親が「勉強しろ」と言わなくなれば、子どもは自発的に勉強するようになります。人間には好奇心や知識欲があり、幸せになりたい欲求があるからです。
将来稼げるようになるために勉強するのか、教養を身につけるために勉強するのかは、子どもが考えることですから、親が考える必要はありません。