両親から虐待を受けて死亡した船戸結愛(5歳)ちゃんがノートに「もっともっときょうよりかあしたはできるようにするからもうおねがいゆるして」などと書き残していたことがあまりに悲惨だということで、「児童相談所はなにをしていたのだ」といった声が上がっていますが、児童相談所にできることには限界があります。
幼児虐待も元から断たないとだめです。
 
動物の世界では、たとえば哺乳類においては、親が養育困難な状況だと判断すると生まれたばかりの子どもを食べてしまったり、障害のある子どもの養育を放棄したり、オスのライオンがハーレムを乗っ取ったときに前のオスの子どもを全部殺してしまったりということもあります。しかし、人間のように育てながら虐待するということはありません。
 
なぜ人間は自分の子どもを虐待するのでしょうか。
幼児虐待をする親は、自分も子どものころ親から虐待されていたことが多いとされ、幼児虐待の世代連鎖といわれます。
そうすると、虐待の世代連鎖をどんどん過去にさかのぼっていくと、「人類最初の虐待親」にたどりつく理屈です。
もちろんそんなに正確に世代連鎖するわけはありません。これはあくまで思考実験です。
「人類最初の虐待親」がどのようにして誕生したかがわかると、幼児虐待が発生した理由がわかり、対策もわかるはずです。
 
幼児虐待が動物の世界になく人間の世界にだけあるとすれば、その発生は文明の黎明期までさかのぼれるはずです。
文明の黎明期になにがあったかというと、たとえば火の使用です。火の使用こそ人間が文明をつくる第一歩だったでしょう。
火は危険です。おとなはそのことがわかっていますが、小さな子どもはわからないので、火傷するかもしれません。親は子どもが火に近づかないよう監視し、近づくと止めなければなりません。
土器をつくるようになると、土器は壊れやすいので、注意して扱う必要があります。しかし、子どもは土器の周りでも平気で遊び回ります。ぶつかって壊してしまわないよう、ここでも親は子どもを監視し、動きを止めなければなりません。
つまり文明が始まると、親は子どもを監視し、動きを制限しなければならなくなったのです。
 
そして、たとえば子どもが水の入った土器を壊して、住まいである洞窟の中を水浸しにするということがあったかもしれません。そのとき親が怒って子どもをたたいたら、それが「人類最初の虐待親」ということになります。
 
親は文明人であっても、生まれてくる赤ん坊はすべてリセットされて、原始人として生まれてきます。
文明が進めば進むほど、親と子どもは乖離していきます。
 
江戸時代には、江戸や上方では庶民もいい家に住み、洗練された文化的な生活をするようになりました。だからといって、洗練された文化的な赤ん坊が生まれてくるわけではありません。子どもは、障子やふすまを破り、畳に食べ物をこぼし、さらには床の間に飾ってある高価な掛け軸や置物を壊すかもしれません。そうならないように親は「しつけ」を行うようになりました。
「しつけ」はもともと武士階級で子どもに礼儀作法を身につけさせることを意味する言葉でした。江戸時代には庶民階級もしつけを行うようになったわけです。
子どもは成長すれば、障子は破るものではなく、置き物は壊すものではないとわかるし、食べ物をこぼさずに食べることもできるようになります。しかし、親はそれを待っていられないので、しつけをするわけです。
 
 
現代のような高度な文明社会では、文明人である親と、原始時代のままの子どもは、大きく乖離しています。
文明人が未開人を見ると、なかなか未開人の考えや気持ちがわかりません。文明人が赤ん坊を見ても同じです。
ですから、文明人の親は自分の子どもができると、子どもの地点まで下りていくという心の作業をしなければなりません。
それをしないと子どもと心の交流ができません。
 
それが簡単にできる親もいます。自分がそういう親に育てられてきたからです。あと、生まれつきの共感能力も関係しているようです。
一方、子どもの気持ちのわからない親に育てられ、かつ生まれつき共感能力が低い人は、文明人の意識のままで子どもに対することになります。
いわば「上から目線」で子どもを見てしまうのです。
そうすると、子どもの自然なあり方に対して「なぜこんなことができないのか」「なぜこんなことがわからないのか」と不満を募らせ、ついには虐待にいたってしまうことになります。
 
冒頭の事件の結愛ちゃんは、小学校入学に備えてひらがなの練習をさせられていました。文明人の論理、おとなの論理の子育てです。
これは教育熱心ということで社会的には評価されます。
 
では、この両親になにが足りなかったかというと、子どものところまで下りていくという心の作業です。
そのため子どもの気持ちがわからず、文明人の論理、おとなの論理を一方的に押しつけてしまったのです。
 
これまで人類は文明の進歩をよしとして、前へ前へと進んできました。
親が原始人へと戻る心の作業をすることはベクトルが逆なので、これまで社会的には無視されてきました。そのため親はそれぞれ個人的にその作業をしてきたわけです。
しかし、それも限界にきているようです。
 
よく運転免許と同じように子育てにも免許や資格がいるようにすればいいという議論があります。
では、子育ての資格はどうすれば取得できるかというと、どんな文明社会でも赤ん坊はすべて原始時代と同じ状態で生まれてくることを理解し、文明の論理やおとなの論理を頭から追い出して子どもと向き合うようになることです。
 
今の子育てはむしろ逆で、子どもの論理を無視して、子どもを親の論理に従わせることが勧められており、これは虐待を生むもとです。
 
動物の世界では、親はしつけも教育もしないので、子どもは親の周りで自由に遊んでいます。子どもが親にぶつかったり親を踏みつけたり親の眠りを妨げたりしても、親は子どもを怒ったりしません。親が子どもに強制力を行使するのは、天敵が接近して子どもを守らねばならないようなときだけです。
人間の子どもも幼いときは、動物と同じような親子関係でいるのがいいと思います。