日本は世界的に犯罪が少ない国なので、そのことを世界にアピールすればいいのに、なぜか死刑大国であることをアピールしています。
7月6日、オウム真理教の松本智津夫ら7人への死刑が執行されました。
世界の潮流に逆らって死刑制度に固執する日本の司法当局はなにを考えているのでしょうか。
 
ジェームス・ボンドがカッコいいのは、たぶんに007という「殺しのライセンス」を持っているからです。
日本の司法組織もそれと同じで、死刑制度という「殺しのライセンス」を持っているとみずからの権威が高まると思っているのでしょうか。
 
それから、日本はこのところ毎年犯罪が減少して、刑法犯は2002年のピーク時と比べると2016年には約三分の一になっています(「平成29年版犯罪白書」)。このままでは警察司法関係の予算をへらされてしまいますから、少年法改正、時効延長、厳罰化、共謀罪新設などにより「犯罪の水増し」をはかってきました。当然、死刑制度もやめるわけにはいかないでしょう。
 
司法組織は「原子力村」に似ています。専門家性をタテにみずからの利権を追求して、誰も止められません。
 
 
そもそもなぜ死刑制度が必要かというと、日本ではもっぱら「国民感情」が理由とされます。アンケートで死刑賛成が多数だからというのです。
しかし、そのアンケートはこんな文面です。
 
死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか。
「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」
「場合によっては死刑もやむを得ない」
「わからない・一概に言えない」
 
「どんな場合でも」と「場合によっては」、「廃止すべき」と「やむを得ない」という非対称の文章で答えを誘導しようとしています。
「死刑制度に賛成」「死刑制度に反対」といった対称的な文章にするべきでしょう (ついでにいうと、「どんな場合でも」と制度の「廃止」をつなげるのは日本語として間違っています。「どんな場合でも死刑は行うべきでない」とするべきです)
 
マスコミは殺人事件があった場合、被害者遺族に取材して、「死刑にしてほしい」といった発言を引き出し、「被害者遺族感情」を前面に出した報道をします。
しかし、死刑が執行されたとき死刑囚遺族に取材して、その感情を報道するということはしませんから、ここでも非対称になっています(もっとも、殺人犯というのはたいてい崩壊家庭で育っているので、死刑囚の死を悲しむコメントをする人はまずいませんが)
 
今の死刑制度は、「国民感情」だの「被害者遺族感情」だのというあやふやなものを根拠に行われています。
そんなことをしていると、誰も身寄りのない人が殺された場合、「被害者遺族感情」が存在しないわけですから、その殺人犯は罪が軽くなることになってしまいます。
 
また、「加害者の人権は守られているのに被害者の人権は守られていない」ということも死刑や厳罰の根拠としてよく言われます。しかし、加害者を死刑にしても被害者の人権が守られるわけではありません(人権の中に復讐権というものがあるとすれば別ですが)
 
 
「国民感情」や「被害者遺族感情」や「被害者の人権」はどれも死刑の理由にはなりません。
死刑の理由があるとすれば「正義」です。これしかありません。
 
「正義」とはなにかというと、「悪い人は殺してもかまわない」とか「極悪人は殺すべきだ」という道徳のことです。
ハリウッド映画はこの道徳でつくられ、正義のヒーローが悪人を殺すと観客は喝采します。
 
ですから、死刑賛成派は「国民感情」などというあやふやなものを持ち出さずに「正義」を主張するべきです。
もっとも、そうすると「なぜ悪い人を殺してもいいのか」と聞く人が出てくるので、答えなければなりませんが。
 
 
 
以上のことは、つい最近書いた次の記事と対称になっているので、併せて読んでください。
 
「なぜ人を殺してはいけないのか」に答える