オウム真理教関係の7人が死刑執行されたあと、松本智津夫元死刑囚の遺骨の行方が問題になっています。
松本元死刑囚は執行前に遺体は四女に引き渡すように意思表示したということですが、松本元死刑囚にそんな理性的な判断と意志表示ができたのか疑問に思っていたところ、案の定、松本元死刑囚の三女がブログでこんなことを書いていました。
 
 
しかしながら、東京拘置所は、最初は親族間で争いがあるという理由を挙げ、わたくしたちが母を含め、四女以外はただ父の死を家族だけで静かに悼むという同じ願いを持っているとお伝えすると、「本人が(遺体の引取先として)指定した人がいる」という旨おっしゃり、遺体の引き取りはできないとのことでした。能力的に父が意思表示などできるはずがないと申し上げると、今度はそのようなことは言っていないと、言葉をひるがえしています。
 
 報道によれば、父が指定した相手は、わたしの妹、父にとっては四女の聡香だということになっております。遺言状はありません。何度もおうかがいをしたにもかかわらず、東京拘置所は7月9日現在にいたるまで、父が指定した相手が四女だということを、わたしたちには話をしてくださいませんでした。
 
 わたし自身は、父が四女を遺体の引取先として指定したという話について、父が東京拘置所の職員と意思疎通ができなかったという客観的な事実からも、作られた話ではないかと感じております。
 
 
どう考えても、法務省が嘘をついているようです。安易に嘘をつくのも“アベ化”のひとつでしょうか。
四女は松本元死刑囚の子どもの中でただ一人教団との縁を切っているので、法務省は四女に引き渡すために嘘をついたと思われます。
四女は、今遺骨を引き渡されると「身の危険を感じる」として拘置所でしばらく保管するよう求めていましたが、その後、遺骨をパウダー化して太平洋に散骨するという意向を表明しました。これが法務省の望むシナリオなのでしょう。
 
 
上川陽子法務大臣は死刑執行の日の午後に記者会見しましたが、なぜこの時期に死刑執行をしたのか、なぜこの7人を選んだのかについてはなにも説明しませんでした。
また、死刑制度の必要性や意義についても語りませんでした。
もちろん語るべき言葉がないのでしょう。マスコミは「国民感情」や「被害者遺族感情」を死刑の理由に挙げますが、同じことを法務大臣が言ったら、それは世界に報道されますから、そんなことは死刑の理由にならないと世界から批判されたでしょう。
 
ちなみにEUは死刑執行のあった6日、日本政府に対して、死刑は犯罪抑止にならないことや冤罪の場合に取り返しがつかないことを理由に、死刑制度の廃止を前提とした執行停止を訴えました。
これに対して日本政府が死刑の必要性を訴えるとしたら、「正義」しかありません。「われわれは正義を行った」と主張したら、EUもなかなか反論できないでしょう。
 
もっとも、死刑の理由に正義を挙げると、犯罪者もそれをまねするようになります。つまり誰かを殺したいほど恨んでいるとき、正義を理由にすれば殺してもいいのだということになって、殺人を後押しすることになります。また、自分が不幸なのは世の中が悪いからだと思っている者は、世の中の人を殺すことは正義だとして通り魔事件を起こすかもしれません。
 
正義を理由に人を殺すのは、法の論理かもしれませんが、犯罪者の論理でもあります。
 
もっとも、これに対しては「死刑は殺人に対する報いとしてあるので、ただの殺人とは違う」という反論があるかもしれません。しかし、自分は死ぬほどの苦しみを味わっていると思っている人間の主観では同じことです。
 
 
人間には人を殺したくないという本能があります。
日本の絞首台には、本物のボタンとダミーのボタンがあって、3人ないし5人の刑務官が同時にボタンを押して、心理的負担を軽減するようになっているそうです。
軍隊で銃殺刑をするときは、一丁だけ空砲の入った銃を混ぜておくという習わしがありました。
 
日本で裁判官になるということは、死刑判決を出すかもしれないということです。裁判官を志す人間というのは、人間のもっとも土台である本能が毀損した人間ではないかと私は思っています。
裁判官だけではありません。死刑制度の維持に必死になっている法務官僚も同じです。
彼らは収入もあって社会的地位も高いので、犯罪をすることはありませんが、もし社会の底辺にいて、なにもかもうまくいかなくなれば、殺人事件を起こしているかもしれません。
現につまらない嘘をついて松本元死刑囚の遺骨を思い通りにしようとしています。
 
こういう人間観は常識と違うかもしれませんが、すべての偏見をなくして、ありのままの人間を見れば、死刑囚も法務官僚も同じです。