杉田水脈議員については、「LGBTは生産性がない」という発言ばかりが注目されていますが、ほかにもトンデモ発言をしています。
201410月の衆院本会議場で「男女平等は、絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」と言ったのです。
男女平等を否定しているのです。
 
正確な発言はこうです。
 
「日本は、男女の役割分担をきちんとした上で女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女共同参画の名のもと、伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。男女平等は、絶対に実現し得ない、反道徳の妄想です。男女共同参画基本法という悪法を廃止し、それに係る役職、部署を全廃することが、女性が輝く日本を取り戻す第一歩だと考えます」 (20141031日、本会議)
 
要するに「良妻賢母」とか「男を立て、男に従う女性」が「輝いている女性」だということです。
本会議場での発言ですから、安倍首相も聞いています。安倍首相は杉田議員をひいきしていましたから、安倍首相のいう「女性が輝く社会」がどういうものかもわかります。
 
杉田議員の発言のキーワードは「反道徳」です。
「道徳」とか「道徳的」という言葉は普通よい意味で使われます。自民党は道徳教育を推進してきましたから、とくに道徳をよいものと思っているでしょう。
しかし、差別について考えるときは、道徳はいい意味ばかりではありません。杉田議員も自民党もそのことを理解していないようです。
 
ということで、道徳と差別の関係をここで整理しておきたいと思います。
 
 
人類の祖先が道徳をつくりだしたのは文明の黎明期であったと思われます。そして、文明とともに差別も生まれました。
古代ギリシャ・ローマでは、周辺民族をバルバロイとかバーバリアンと呼んでさげすんでいました。古代中国では、やはり周辺民族を東夷、西戎、北狄、南蛮などと呼んでさげすんでいました。
ということは、道徳と差別は一体のものであったと考えられます。

奴隷制社会には奴隷制社会の道徳があって、奴隷を奴隷として扱うのが道徳的なことです。そんな扱いをしたらかわいそうだとか、奴隷を解放するべきだとか主張すると、不道徳的だとか反道徳だとか非難されます。
 
1964年の公民権法成立以前のアメリカ南部において、白人が黒人の友人を連れてレストランに入ってくれば、その白人は不道徳なふるまいをしたとしてひどく非難されます。レストランから黒人を追い出すのが道徳的なふるまいです。
 
時代の変化とともに黒人の地位が変わって、そうすると道徳も変わります。昔の道徳のままに黒人を扱うと、それは差別だとされます。
 
つまり「差別とは、今は否定されたひと昔前の道徳」です。
 
ですから、差別主義者とは昔気質の人でもあります。アメリカでいえば、親が黒人を差別しているのを見て育ち、自分も同じようにしていると、あるときからそれは差別だと批判されるわけです。批判する人たちは、時代の変化に敏感な知識人などです。昔気質の人は自分こそが道徳的だと思っているので、なかなか差別をやめません。
 
 
道徳が差別に変わるきっかけは、公民権法の成立などもありますが、根本的には科学や学問の世界における人間観の変化です。
黒人は昔は人間よりも動物に近いと思われていました。ダーウィンも人種の違いを重要なものと考えていましたが、生物学の進歩で人種はほとんど無意味な概念だとなって、黒人に対する昔の道徳的な扱いは人種差別とされるようになりました。
男と女の違いも、昔は本質的なものとされていましたが、文化人類学や生物学などによりたいした違いではないとされ、昔の道徳は性差別とされるようになりました。
同性愛も昔はよく理解されていませんでしたが、だんだんと解明されてきて、少なくとも趣味や嗜好の問題ではないとされ、同性愛嫌悪は差別だとされるようになりました。
 
杉田議員はそうした人間観の変化を理解せず、性差別やLGBT差別をいまだに道徳だと思っているのです。
 
 
差別を克服するには、正しい人間観を持つことが第一ですが、同時に道徳と差別の関係を知っておくことも必要です。