インターネットで炎上しやすい事案のひとつに、「公共の場で子どもが騒いだり赤ん坊が泣いたりしているのに親がなにもしない」というのがあります。
「親はちゃんと子どもを叱れ」とか「親は泣いてる赤ん坊をその場から連れ出せ」という怒りの声がある一方、「子どもが騒いだり赤ん坊が泣いたりするのは当たり前。怒るおとながおかしい」という声もあります。
 
こうした議論が起こるのは、「公共の場」についてのとらえ方に根本的な問題があるからと思われます。
 
コンサート会場のような特殊な場とか、私的な会合の場とかなら、子どもや赤ん坊を連れた親は出ていけと言われてもしかたありません。
 
では、飲食店はどうでしょうか。公共の場とはいえませんが、誰でも利用できる場だけに、それに近いところもあります。
高級レストランで子どもが騒いだり赤ん坊が泣いたりすると顰蹙を買うでしょう。
では、ファミレスではどうでしょうか。ファミリーレストランというぐらいですから、ファミリーで利用するのが前提で、ファミリーには子どもも赤ん坊もいます。子どもが騒いだり赤ん坊が泣いたりするのがいやだという人はファミレスを利用するべきではないでしょう。
 
ちなみに居酒屋では大声で騒ぐグループ客がよくいます。おそらく子どもが騒ぐ声よりも物理的に大きい声を出しているはずですが、誰も文句を言いません。居酒屋で騒ぐのは当たり前という認識があるからです。
ファミレスで子どもが騒いだり赤ん坊が泣いたりするのは当たり前という認識があれば、問題はなくなるはずです。
 
いや、居酒屋の客の多くは男ですが、ファミレスの親子連れはたいてい母親と子どもです。母親と子どもという弱者だから文句を言うということもありそうです。
 
あと、赤ん坊に泣くなというのはさすがに理不尽ですから、誰もいいません。代わりに、母親を責めるということがよく行われます。たとえば松本人志氏は、「新幹線で子供がうるさい」「子供に罪はなし。親のおろおろ感なしに罪あり」とツイートしたことがあり、多くの賛同の声があったということです。しかし、こういう考え方が親を追い詰めるのは確かなことで、少子化の原因でもあるでしょう。
 
 
「公共の場」というのは、公道とか公園とか駅とか公共交通機関とか、誰でも利用できるところです。当然、子どもも赤ん坊もいます。子どもが騒いだり赤ん坊が泣いたりするのは自然なことです。
 
公共の場には老人も身体障碍者もいます。
のろのろ歩く老人は、急いで歩いている人のじゃまになることがありますが、だからといって、公共の場では速く歩けとか、速く歩けない老人は公共の場から出ていけなどという人はいません。もしいたら、それこそ炎上騒ぎです。
車椅子の人も周りのじゃまになることがありますが、だからといって公共の場に車椅子で来るなという人はいません。
 
ところが、子どもや赤ん坊については、騒ぐなとか泣いたら連れ出せなどという人がいます。
子どもに騒ぐなというのは、老人に速く歩けというのと同じです。
泣いた赤ん坊を連れ出せというのは、公共の場に赤ん坊はいるべきでないといっているのと同じです。
 
どうやら世の中には、公共の場はおとなのものだと思っている人がいるようなのです。
そういう人は、子どもや赤ん坊は公共の場ではおとなのようにふるまうべきであり、それができないなら出ていくべきだと思って、そう主張するのでしょう。
 
しかし、公共の場はおとなだけのものではなく、おとなと同様に子どもや赤ん坊も利用する権利があります。
そのことを理解すれば、「公共の場で子どもが騒いだり赤ん坊が泣いたりするのは許せない」という考え方もなくなり、おとなと子どもの共生が進むのではないでしょうか。