安倍晋三首相と石破茂氏は9月17日、五つのテレビの報道番組に出て意見を戦わせましたが、大きな政策の違いはありません。私が見ていた範囲で議論がいちばん盛り上がったのは、石破支持の斎藤健農相が安倍陣営の議員から閣僚辞任を迫られたという問題です。
安倍首相は「陣営に聞いたらそんなことはないと言っていた」と斎藤農相の話を否定。石破氏が「斎藤氏はつくり話をする人では絶対にない」と言うと、安倍首相は「もしそういう人がいるなら名前を言ってもらいたい」と名前の公表を迫り、石破氏が「セクハラの被害女性に名乗り出るよう求めた財務省の対応に似ている」と指摘したところが、私個人としてはいちばん受けました。
 
安倍首相は、自分が任命した斎藤農相が嘘をついているかのように言ったわけで、閣僚を誹謗するのも平気なようです。
 
また、安倍首相はプーチン大統領から「前提条件なしに日露平和条約締結」を提案されたときなんの反論もしなかったことを批判されました。すると安倍首相は16日のNHKの番組において、その提案のあとプーチン大統領と二人で話をし、直接反論したと主張しました。しかし、ロシアのペスコフ大統領報道官は「安倍氏本人からの反応はなかった」と語っており、これも嘘くさい話です。
 
どうやら自民党総裁選の最大の争点は「正直、公正」であるようです。
政治は政治家が動かすわけで、政治家の人間性、人格が選挙の争点になるのは当然です。
 
とはいえ、少し前まで「マニフェスト選挙」と称して政策、公約中心の選挙であるべきだという考え方が優勢でした。
また、それ以前には、選挙で投票するときは「人物本位か政党本位か」ということが問題になっていました。そして、人物本位で投票する人が多いというアンケート結果が出ると、有識者は「政党本位で投票するべきだ」と主張するのが常でした。
 
人物よりも政党、政策で選ぶべきだ――というのが昔の常識だったのです。
これは「近代合理主義」というやつでしょう。理性中心の発想なので、人物や人格というような理性でとらえられないものは無視するのです。
 
 
今の政治は政策よりも人間中心で動いています。
いや、昔からそうだったのですが、今はそのことが誰の目にも明らかになってきました。
トランプ大統領はオバマ政権の政策を次々とくつがえしていますが、これは白人至上主義者のトランプ大統領が黒人のオバマ大統領のやったことを否定したいからです。政策の良し悪しとか国益ではなく個人の差別心で政治が動いているのです(安倍首相も総裁選のあとは石破支持派を人事で「干す」といわれていますが、これも似たようなものです)
 
ただ、人物中心で政治家を選ぶにしても、「正直、公正」だけではだめです。「実行力」が問題です。
いくらいい人物がいい政策を掲げていても、実行力がなければ話になりません。
たとえばかつての民主党政権は、辺野古移設について「国外県外」を掲げましたが、実行力がありませんでした。八ッ場ダム建設中止は純粋な国内問題でしたが、これも実行できません。
民主党が国民から見放されたのは、実行力がなかったからです。
 
立憲民主党は最近、支持率が低下しています。当時の教訓を生かしていないからです。
立憲民主党は安保法制を「違憲」と断定して専守防衛の安保政策を掲げ、「日米地位協定の改定を提起」「辺野古移設について再検証」とも主張しています。しかし、枝野幸男代表は9月初めに訪米した際、「立憲民主党は日米同盟を重視する立場であり、同盟関係をさらに深めていきたい」と語りました。実行力に疑問符がつくのは当然で、民主党政権時代の反省ができているとは思えません。
 
その点、トランプ大統領は、政策を細かく具体化していく能力はなくても、反対を正面から突破していく実行力だけはあります。
こうした実行力は、人のよさからは出てきません。むしろ“人の悪さ”が必要です。
トランプ大統領は恐怖で閣僚やスタッフを支配しているようです。
安倍政権では菅官房長官が、プライベートの飲み会で政権批判をした官僚を左遷するなど人事権を駆使した恐怖支配で官僚組織を牛耳っています。
 
反対派を粛清するとか「干す」とかを極限までやったのがヒトラーやスターリン、織田信長などで、実行力だけはありました。
 
「正直、公正」を追求していくと「実行力」がなくなり、「実行力」を求めると「正直、公平」がなくなるという関係にあります。
「タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きていく資格がない」というレイモンド・チャンドラーの名言はこのことです。
 
政治家の人間性を見きわめることはマニフェストを見きわめるよりもむずかしく、国民の目が試されます。