ネットの議論というのは、「マスメディアが報じない隠された真実を発見した」という場合に盛り上がる傾向があります。
そのため、小さな「真実」が膨れ上がって陰謀論になったりします。
 
たとえば都立町田総合高校で教師が男子生徒を殴るという動画が拡散し、教師による体罰事件としてメディアが取り上げニュースとなりました。ところが、この動画は“切り取られた”もので、その前の場面では撮影者の生徒のものと思われる「ツイッターで炎上させようぜ」という声が入っていたことがわかると、今度は一転して生徒が教師をハメたということで、生徒に批判が向かいました。この動きはテレビのワイドショーにも波及して、体罰教師を擁護する声まで出たそうです。
 
しかし、この教師はもともと体罰をしない教師だったようで、その教師を怒らせて体罰をさせるには、一流俳優なみの演技力で挑発的な暴言を吐かなければなりません。
それに、「ツイッターで炎上させようぜ」という言葉も、その争いの現場を見て言ったわけで、前から仕組んでいたなら現場でそんな言葉は発しません。
ちょっと考えれば、生徒が教師をハメたなどということはありえないとわかります。
 
町田総合高校の校長は事件にいたる背景をこのように説明しています。
 
 真相をつかむべく情報収集中の信岡新吾校長(54)に話を聞いた。
「この事件はピアスの指導うんぬんはまったく関係なく、直接の原因をつくったのは教諭です。事件の数日前、教諭がほかの生徒に“Aくんは○○なんだよ”などと教師としては不適切なことを言った。
 大ざっぱでフランクで、そこが生徒から慕われるところでもあるんですが、いわゆる軽口だった。その発言を事件直前の休み時間にほかの生徒から知らされたAくんが怒ったんです」(校長)
 Aくんが怒ったのは、自分のいないところでそう言われた悔しさからとみられる。3時間目が始まり、教諭が教室に入ってきたとき、Aくんはこの件を持ち出して「なんでオレには言わないんだよ」などと詰め寄り、廊下に出たという経緯だった。
「教諭に非があるのだから、“それは悪かった”と率直に謝ればよかったんです。しかし、Aくんの言葉遣いに感情的になってしまった。先生として示しがつかないというか、先生の中には威厳、プライドを持っている先生がいるんですよ。そういうタイプの先生だったので、カッとなって体罰に及んだ。原因をつくり、結果も含めて、やはり先生が悪い」(同校長)
 
ところが、生徒の「脳みそねぇのかよ。小さい脳みそでよく考えろよ」という暴言だけが切り取られ、一方、「お前、こんだけ言われて俺がキレると思わねぇのかよ」という部分は切り捨てられ、生徒が悪い教師は悪くないという主張が行われています。
要するに体罰肯定論者が都合のいい切り取りを行っているのです。
 
 
 
明石市の泉房穂市長は、建物の立ち退き交渉担当の市職員に対して「立ち退きさせてこい、お前らで。きょう火つけてこい。燃やしてしまえ」などと暴言を吐き、その音声がマスメディアに取り上げられたために、記者会見で謝罪しました。
 
この暴言があったのは2年前のことです。なぜこの時期にその音声が流出したかというと、今年の4月に市長選があるからだと想像されます。しかし、背後にどういう政治的事情があろうとも、「火つけてこい」などという暴言はいけません。
 
ただ、「火つけてこい」発言は“切り取られた”ものでもあります。地元の神戸新聞がその前後も含めた書き起こし文を記事にしました。少し長いですが、引用します。
 
 
部下に「辞表出しても許さんぞ」「自分の家売れ」 明石市長の暴言詳報

 職員「(立ち退き対象だった建物の)オーナーの所に行ってきた。概算で提示したが、金額が不満」
 市長「そんなもん6年前から分かっていること。時間は戻らんけど、この間何をしとったん。遊んでたん。意味分からんけど」
 職員「金額の提示はしていない」
 市長「7年間、何しとってん。ふざけんな。何もしてへんやないか7年間。平成22(2010)年から何しとってん7年間。金の提示もせんと。楽な商売じゃお前ら。あほちゃうか」
 職員「すいません」
 市長「すまんですむか。立ち退きさせてこい、お前らで。きょう火付けてこい。燃やしてしまえ。ふざけんな。今から建物壊してこい。損害賠償を個人で負え。安全対策でしょうが。はよせーよ。誰や、現場の責任者は」
 職員「担当はおります。課長が待機していますが」
 市長「上は意識もしてなかったやろ。分かって放置したわけやないでしょ。任せとっただけでしょ。何考えて仕事しとんねん。ごめんですむか、こんなもん。7年間放置して、たった1軒残ってもうて。どうする気やったん」
 市長「無理に決まっとんだろ、そんなもん。お前が金積め。お前ら1人ずつ1千万円出せ。すぐ出て行ってもらえ。あほちゃうか、そんなもん。ほんま許さんから。辞表出しても許さんぞ。なめやがって。早くやっとけばとっくに終わってた話を。どないすんねん。悠長な話して。たった1軒にあと2年も3年もかけんのか。何をさぼってんねん、7年も。自分の家売れ。その金払え。現場に任せきりか。担当は何人いるの」
 職員「1人しかいません」
 市長「とりあえずそいつに辞めてもらえ。辞表とってこい。当たり前じゃ。7年分の給与払え。辞めたらええねん、そんな奴。辞めるだけですまんで、金出せ金も」
 職員「担当は今は係長。この間係長は3回替わった」
 市長「何やっとったん、みんな。何で値段の提示もしてないねん」
 職員「値段は概算を年度末に提示している」
 市長「概算なんか意味ない。手続きにのらへんやないか」
 職員「市長申し訳ありませんが、(の分は)予算は今年度でつんでいる。前年度は予算ついていないんで、概算しか」
 市長「ついてないってどういうことよ」
 職員「他の地権者の分、とってますから。丸ごと全事業費は1年間でどーんと付けられない」
 市長「見通しわかっとったやろ。ややこしいの後回しにして、楽な商売しやがって」
 市長「ずっと座り込んで頭下げて1週間以内に取ってこい。おまえら全員で通って取ってこい、判子。おまえら自腹切って判子押してもらえ。とにかく判子ついてもらってこい。とにかく今月中に頭下げて説得して判付いてもうてください。あと1軒だけです。ここは人が死にました。角で女性が死んで、それがきっかけでこの事業は進んでいます。そんな中でぜひご協力いただきたい、と。ほんまに何のためにやっとる工事や、安全対策でしょ。あっこの角で人が巻き込まれて死んだわけでしょ。だから拡幅するんでしょ。(担当者)2人が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ。市民の安全のためやろ、腹立ってんのわ。何を仕事してんねん。しんどい仕事やから尊い、相手がややこしいから美しいんですよ。後回しにしてどないすんねん、一番しんどい仕事からせえよ。市民の安全のためやないか。言いたいのはそれや。そのためにしんどい仕事するんや、役所は」
 
泉市長の暴言は「火つけてこい」だけではありませんでした。
「お前が金積め。お前ら1人ずつ1千万円出せ」
「辞表出しても許さんぞ。なめやがって」
「自分の家売れ。その金払え」
「7年分の給与払え。辞めたらええねん、そんな奴。辞めるだけですまんで、金出せ金も」
暴言のオンパレードです。
 
神戸新聞がどういう意図でこの記事を載せたのかわかりませんが、「辞表出しても許さんぞ」「自分の家売れ」という言葉が見出しになっているように、市長がこんなに暴言を吐いているという記事になっています。
 
ところが、まったく逆の結論に持っていくための“切り取り”をする人がいます。
「金額の提示はしていない」「何もしてへんやないか7年間」という部分を切り取って、職員はなにもしていなかったのだから市長が怒るのは当然だという主張がネットにはいっぱいあります。

しかし、職員がなにもしていないわけがありません。「ちゃんとやっています」と言えば市長の怒りの火に油を注ぐだけなので、言わなかったのです。
現にそのあと職員は「値段は概算を年度末に提示している」と言っています。
 
なお、元鳥取県知事の片山善博氏は1月30日のTBSの「ひるおび!」で、「金額の提示をするには予算の裏付けが必要で、たぶん予算がなかったのではないか。その責任は市長にある」と述べていました。
 
この神戸新聞の記事は「詳報」となっていますが、実はまだ要約です。正確な全文起こしは「アエラ」が報じているので、その部分を引用します。
 
 
市長「何もしてないの?」
幹部「いや……」
市長「何をしとったん逆に?」
幹部「してるんですけど、ずっと追いこん……」
市長「じゃなくて一緒にやるのは当たり前やねんから」
幹部「並行してたんです」
市長「並行なんかしてへんやん、何言うてんねん」
幹部「はい」
市長「してないやないか、全然。してないんでしょ? してたんですか? してないんでしょ、全然!」
幹部「提示はしていなかった」
市長「してないじゃないですか。してないやろ、お前!」
幹部「その通りです」
市長「7年間何しとってん。ふざけんな」
幹部「はい」
市長「なんもしてないやないか、7年間! 平成22年から何してんねん、7年間! お金の提示もせんと、楽な商売じゃほんまお前ら! アホちゃうかほんまに」
幹部「すみません」
市長「すまんですむかアホ! すまんですまん! そんなもん。立ち退きさせてこい、お前らで。今日火付けてこい!(後略)
 
職員は最初は「(ほかの立ち退き交渉と)並行してたんです」と主張していますが、「してないやないか」と決めつけられて主張を引っ込めています。
パワハラの実態がよくわかります。
 
パワハラ肯定論者は、泉市長のパワハラを正当化するためにいろんな“切り取り”をします。
たとえば、作家で投資家の山本一郎氏はこんな記事を書いています。
 
明石市長・泉房穂氏の暴言をよく読むと、市民の命を守るための正論である件
 
山本氏は、市長が怒るのは女性が亡くなる交通事故があったからで、市民の安全のためだと主張しています。
確かに市長は「市民の安全のため」と言っていますが、それは自分の暴言を正当化するための理屈です。立ち退きしない土地の地主も市民のはずで、そこに火をつけろとは、市民の安全などなにも考えていない証拠です。
 
また、山本氏は市長の「2人が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ」という発言を切り取って、「良い上司じゃないですか」と言っています。
しかし、土下座して解決するものなら、担当職員がすでにしているでしょう。
もしほんとうに自分が乗り出して解決しようとする気があるのなら、どんな段取りで自分が登場すればいいかを担当者と打ち合わせするはずです。
暴言の一部だけ切り取って、いいように解釈しているだけです。
 
 
世の中には体罰肯定論者、パワハラ肯定論者がいて、そういう人は事実を都合よく切り取って主張を通そうとするので、注意が必要です。