学歴や収入よりも自分の進路を自分で決める「自己決定度」が日本人の幸福感に大きく影響している――こうした調査結果を、神戸大と同志社大の研究チームが昨年8月に発表しました。
 
所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる 2万人を調査
 
ここから「調査結果」のところを引用します。
 
 年齢との関係では、幸福感は若い時期と老年期に高く、3549歳で落ち込む「U字型曲線」を描きました。所得との関係では、所得が増加するにつれて主観的幸福度が増加しますが、変化率の比(弾力性)は1100万円で最大となりました。
 また、幸福感に与える影響力を比較したところ、健康、人間関係に次ぐ要因として、所得、学歴よりも「自己決定」が強い影響を与えることが分かりました。
これは、自己決定によって進路を決定した者は、自らの判断で努力することで目的を達成する可能性が高くなり、また、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなることから、達成感や自尊心により幸福感が高まることにつながっていると考えられます。
 
 日本は国全体で見ると「人生の選択の自由」の変数値が低く、そういう社会で自己決定度の高い人が、幸福度が高い傾向にあることは注目に値します。
 
 
自分で決めた人生を歩む人はそうでない人よりも幸せというのは当たり前のことですが、今の日本では、自分で決めた人生を歩むというのがけっこう困難です。
というのは、たいていの子どもは「自分の行きたい学校」ではなく「親の行かせたい学校」に通っているからです。
習いごとなども、子どもがやりたいことよりも親がやらせたいことをやっているのではないでしょうか。
 
子どもの自己決定権がないがしろにされている根本原因は、憲法に義務教育の規定があることです。
6歳になれば誰でも親の手によって強制的に学校に行かせられ、自己決定権が奪われます。
親のほうも、どうせ学校に行かせるのだから、どの学校に行かせるかも親が決めていいという感覚になるでしょう。
こうして高校や大学進学、さらには職業選択までも、子どもの自己決定権を侵害する親が出てきます。
 
明治時代には、帝国憲法にこそ義務教育の規定はありませんが、国民の三大義務のひとつに教育の義務があって、今と実質的に変わりません。
明治時代からずっと義務教育があるので、日本人は義務教育がない状態というのを想像できなくなっているのではないでしょうか。
 
「『江戸の子育て』読本」(小泉吉永著・小学館)という本から、義務教育のない江戸時代の教育を紹介したいと思います。
 
 
田村仁左衛門吉茂が明治6年(1873)に著した「吉茂遺訓」に、彼がどういう幼少期をすごしたかが書かれています。
親は寺子屋入学を勧めてくれましたが、吉茂は生まれつき手習いが嫌だったので、返事もせず黙っているばかりでした。親は寺子屋は諦めて家で読み書きを習わせようとしましたが、吉茂はいっこうに習おうとしません。
あるとき母親は「お前のように手習いが嫌いなら、乞食になるほかはない」と言いました。すると祖母は「この子は小細工が好きだから、大工にでもなるのがよかろう」と言いましたが、父親は「大工になっても手習いができなければ、番号付けすらできない」と言い、吉茂は困りましたが、仕方なく日々を送りました。ただ、読み書きできない不自由さも痛感し、むりやり種子札や農事日記などをなすり書き(原文ママ)するようになりました。しかし、農業だけは寝ても覚めても怠ることなく勤めました。
18歳のとき、祖父と伯父の二人が「今度、算術家が村にきて、若者に算術稽古をしてくださるというので、お前もぜひ算法を学ぶがよい。必要なことはすべて面倒見てやる」と勧めてくれましたが、吉茂が「私は手習いもしていませんし、四十日ほどの算術稽古に参加しても算術を身につけられるとは申し上げ難く存じます。師匠を頼んでも学べないときはかえって恥をさらすように存じますので、どうかお許し下さい」と言うと、両人は「それももっとも」と聞き入れてくれました。吉茂は「無師」の許しを得て、ますます農業に精を出しました。
そして、吉茂は五十代には日本有数の農業指導者となり、晩年に多くの著作をものにしています。中でも「農業自得」は有名で、平田篤胤は彼を東西二人の「農聖」の一人と称えました。
読み書きは独学で身につけたわけです。
 
幕末の国学者小池貞景が著した弘化4年(1847)刊「こそだて草」にも、子どもに学びを強制してはいけないと書かれています。
 
「男は算筆、女は縫い針」と言って、これらができないと、その身の生涯の損となる。従って、どれほど貧しい家庭でも、ほどほどに仕込んでおきたいものである。しかし、生まれつき嫌いな子もおり、どれほど教えても憶えない子もいる。
このような子どもには強いて教えてはならない。知らないことがかえって、その子にとって良い場合もあるからだ。
世間には無筆でも金をためる者がいるし、学者となって家を滅ぼす者もいる。ほころび一つ縫えない女性でも、立派な夫を持って生涯楽しく暮らす者もいる。逆に縫い針は人に優れても放蕩者を夫に持って生涯苦しみ、その縫い針でその日暮らしをする場合もある。
 
只野真葛の「むかしばなし」によると、江戸時代中期の医者・経世家として知られる工藤平助の養父であった工藤丈庵の妻についてこのように書かれていました。
 
ちなみに、丈庵の妻は、両親の秘蔵っ子として育てられ、十六歳になっても幼児のごとく撫育され、読み書きも教えられなかった。しかし、十六の春から武家奉公をすることになり、周囲の女中から「十六歳にもなる娘に、いろはさえ教えずに育てたものよ」と嘲笑されて奮起した彼女は、文殻(不要になった手紙)を拾い集めて、人が寝静まった後に手習いに励み、夏は蚊除けのために手拭いで頬被りして習った。
努力の結果、半年で手紙も書けるようになり、一年後には周囲よりも立派な手紙が書けるようになった。二年後には奉公先の代書役も務めるようになったという。
 
これらは学習を強制されなくても独学でうまくいった例ですが、もちろん強制されないために読み書きができないという例もいっぱいあったわけです。しかし、落語の登場人物は手紙がくると大家さんに読んでもらって、普通に生活しています。
それに、江戸時代後期になると多くの子どもは寺子屋に通うようになるので、義務教育がなくても問題ありませんでした。
 
 
義務教育がないことのメリットは、なんといっても教える側がしっかりすることです(これからも「『江戸の子育て』読本」に基づいて書いていきます)
 
寺子屋を開業するには資格がいらないことから、師匠らしからぬ師匠もいました。天保初年の「続女大学」には、「弟子が上達しない場合は、みずからの書が未熟で指導方法も行き届かないことは言わずに、弟子の不器用や無精を批判する師匠が世間には多い」という記事があります。手習い師匠もピンキリだから親はよく吟味せよという注意です。
しかし、評判の悪い寺子屋は続かないので、そういう例はごくわずかでした。
 
昭和4年(1929)刊行の乙竹岩造著「日本庶民教育史」全三巻は、大正4年から2年余りにわたって幕末期の手習い師匠経験者83人、寺子経験者3007人に聞き取り調査を行い、寺子屋の実態を明らかにしました。
その調査結果によると、「師匠を尊信している」という寺子は97%、「そうではない」という寺子は3%でした。
また、寺子屋はたいてい個人宅を教室代わりにしていたため、ひじょうに家庭的で、師匠と寺子の家庭の間に家族的な交流がありました。寺子は卒業してからも69%が師匠宅を訪問したことがあり、師弟関係は生涯続き、師匠が没すると寺子一同が葬儀費用いっさいを負担したり、記念報恩の碑を建てたりしました。
 
寺子屋では「席書」という成績発表会のようなイベントがありました。師匠の前に寺子が順番に呼び出され、手本を見ずに清書をし、成績をつけてもらって、壁に張っていきます。門戸や障子を開放し、父兄や通行人が自由に参観できるようになっていて、寺子にとっては日ごろの練習成果を披露する機会で、師匠にとっては指導力を示す機会でしたから、師匠も寺子も一生懸命でした。大きな寺子屋では寺院の本堂を借り切り、多数の来賓を招いて大々的に行い、付近に露店が立ち並んで縁日のようでした。
 
義務教育などなくても、親や子どもが学ぶことの重要性を認識していればうまくいくことがわかります。
いや、逆に義務教育があると、子どもはいやでも学校に行かされるので、学校は社会主義国の商店みたいになります。
今の学校教育の問題は、すべてそこからきています。
 
そもそも義務教育は、富国強兵のためのものでした。なぜ今もやっているのか疑問です。
憲法から義務教育を廃止し、代わりに学習権を規定すれば、学校教育は大いに改善されますし、行きたい学校、習いたい教師を選べる子どもも幸せになります。